その昔、街のあちこちには雀荘があって、土曜日の午後など三々五々サラリーマンが同僚とつれだって入っていく光景をよくみかけた。ああいう光景をみて金をかけずにゲームだけを楽しんでいるなんて思っている人はいなかっただろう。厳密にいえば賭博罪なのだが、付き合いの範囲内の金額ならまあいいだろう…というのが社会の共通概念だったのではないか。実際、雀荘に行ったサラリーマンが逮捕されたなんていう話は聞いたこともないし、今でもそんな雀荘はないこともない。
このように普通のサラリーマンの賭け麻雀は、実際のところ黙認されているようなのだが、それでも、検事長はさすがにまずいのではないか。ただ、今回の検事長の賭け麻雀には賭博罪以外に、もう一つの問題があるように思う。それは他の3人が大新聞の記者であったという点である。このあたり、たぶん新聞は書かないだろうが、3人の新聞記者は検事長の同僚でも友人でもなく、普通に考えれば、この人が検事長という肩書を有しているから近づき、一緒に麻雀をしたとみるのが普通だろう。そして麻雀というのは、まったく運次第のサイコロなどと違い、わざと負けてやることもできるゲームである。つまり、形は賭け麻雀でも、その実質は、お金を献上しているということだってあるのである。どこも報道しないのだが、この賭け麻雀の勝敗はどうなっていたのだろうか。検事長がいつも勝っていたなんていうと、実質お金を献上していたとしか思えないのだが。
検事長の麻雀事件は検察そのものに対する不信というだけではなく、新聞に代表されるマスコミに対する不信も増幅させているといえるのではないか。大新聞の記者は何を目的に検事長と賭け麻雀をしていたのだろうか。もし、検事長に負けてかけ金を献上していたとしたら、その見返りに何を望んでいたのだろうか。そのあたりが気になってならない。
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