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やーっとおわったよー。第一回日本男性学会議。~DV虐待加害者アプローチ研究全国大会~と銘打ったぶっつけ会議。何せ、歪んでとんでもない所に流れてしまった日本の男性解放運動が消滅する前に、なんとか、希望の火をともし新しい流れを作りたいと願う私。男性問題は暴力だけでなく、所有とか支配を是とするパワーコントロールの価値観なども全て含まれるし、その問題をどうやって自身からそぎ落とすか、と言う事かも知れません。
少し突っ込んだ議論になりますが、欧米では家族の暴力に対して犯罪として扱われるだけで無く、加害者には非暴力トレーニングが義務付けられる事が多いのです。日本の法律にはこれがありません。保護命令が出て、接近禁止とか自宅退去は申し渡されますが、ある意味野放し、良く言えば、ケアがありません。これでは、加害者はかわり得ないから、加害者プログラが必要と言う議論がなされます。で、どういうプログラムが有効なのか、という議論になる訳ですが、いい悪いを判断するのは誰か、ということになります。例えば、医者なら、医者が、学者なら学者が、カウンセラーならカウンセラーが、それぞれ判断するべきだ、となりますが、いつでも必ず排除されるのが当事者です。当事者こそが、どのプログラムが本当に有効だったかを知り得るのに、その当事者の意見は排除されて、いわゆる専門家が当事者を権力でコントロールするという事態が生まれます。これはどの業界でも言える事でしょう。私は反権力、非暴力の運動を続けていますから、この権力構造には組みしたくはありません。ところが、当事者が語る、と言っても、マスコミは報道もしてくれません。ほとんど参加者も集まりません。ほんとに難しい所です。私は専門家が無意味とは思ってはいませんが、専門家が当事者を権力で支配するのにはとても違和感を感じますし、私はそう言う場を自分ではつくりたくはありません。専門家も一人の当事者として、あるいは当事者性を持った援助者として関わってほしいとの思いをもっています。ですから、先生が、教え導くと言うイメージをマスコミには流して欲しく無いのです。ですが、今日の会議でも、マスコミは有名な先生ばかりにカメラを向け、一般の参加者も、有名な先生の話ばかりを聴きたがります。誰かが何かを教えてくれるということに意味があるのではなく、ひとりひとりが、自分とどう向き合って、新たな自分をどうやつて見つけるか、ということが大切なのに、専門家は答えを教えたがるし、普通の人は答えを聴きたがります。当事者の求めているのは、そして当事者が非暴力に至るために必要なのは、そんなものではありません。寄り添ってくれる、信頼してくれる、友であり、仲間こそが必要なのです。来年の男性学会議は、このことを伝えたいな。あなたはどう思う?
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じゃふぁれく
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