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カテゴリ:DV
今日も痛ましい電話がありました。理由はいろいろあるのだろうけれど、男がとことん追いつめられて、にっちもさっちも行かない(本人にとっては)状況になっていました。
頭はパニック状況から、鬱寸前です。このケースだけではないけれど、しばしば、こういうケースに出会う事があります。 男でも女でも、耐えうる限界を超えて攻撃を受け続ければ、無抵抗状況になります。ほっておけば、病理が深まって人格崩壊するか、自殺するかということにもなりかねません。 かなり以前の事ですが、たまたま私との連絡がうまく取れない事が続いたクライアントで、なくなられた方も複数おられます。今はハイリスクな場合携帯で緊急対応もしているので、そういうことはありませんが。 被害者支援の現場では、しばしば、DV男は死ぬ死ぬといってコントロールしようとする、そんな男は死ねばいい、という声も見聞きします。話はすこし違うけれど、あるシェルター代表の方は「DV男は意外と弱いんです、よく死ぬんです、私の関わりでも五人くらい死にました」とかなり大きなシンポで話されていました。その方の語りには死んだ男性に対する思いやりは感じませんでした。そのなくなられた方とその方との関わりがどのようなものだったのか、話されませんでしたが。 理由はどうであれ、一人の人間が孤立し不安と絶望の中で死を選ぶ、その絶望にまったく寄り添わない人が、果たして被害者の思いに寄り添う事が可能なのか、疑問に思ってしまいます。被害当事者が怒りと憎しみで、加害者の死を願う気持ちは理解できます。が、援助者はその被害者感情に寄り添いはしても、巻き込まれては適切な援助ができなくなります。 DV男に対する憎しみが心に淀み、援助に名を借りた自身の報復感情の発散をしているのではないか、当事者を巻き込んでいるのではないか、と、言いたくなることもあります。 私はどんなひどい事をした加害女性であっても、死んでほしいとは思いません、当然の事です。脱暴力し力をつけ、人間関係を回復し、傷つけた人に対しては謝罪償いをし、自らも幸せになってほしいと切に願います。もちろん加害男性も同じです。 被害者にとっても、加害者が脱暴力し、謝罪と償いを行う事、その後の被害者に対する援助を行う事は、不利益になるはずがありません。いっときの被害者感情に巻き込まれて、加害者をとことん追いつめて、加害者を病理世界に追いつめても、死にいたらしめても、はたまた絶望と怒りから事件化させても、被害者にはなんの利益にもなりません。 もちろん、被害者支援の方達がそういう気持ちになるのもわからないでもありません。それは、DV男は変らない、何をするかわからない、とにかく危険、狡猾で凶暴、という誤った認識を持つている事、冷静な判断ができる援助者が少ない事、などがあるからでしょう。 被害者支援がどうやっても、DVは減らない事、被害者も減らない事、この現実にそろそろ向き合ってほしいものです。暴力をなくす事、被害の発生を少なくする事、実は、さほど難しい事ではありません。暴力とは何か、脱暴力支援とはどういうものか、すでに存在するその答えを学べばわかるのですから。 今日の男性、私が彼の近くの公的な施設で援助していれば、解決にさほど難しさは感じないだろうというケース。けれど、私は民間の有償の援助を提供している施設、物理的にも経済的にも彼が援助を受けるのは難しいかもしれません。何らかの形でつながってくれればいいのだけれど・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/11/19 03:16:46 AM
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