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テーマ:心の病(7507)
カテゴリ:メンズカウンセリング
私は子どもの頃から、記憶力やら論理的思考力が極端に劣っていて、勉強にまったくついて行けない子どもでした。教師は「あんたの努力がたりない、やればできる、おにいちゃんはちゃんとできてるでしょ」と言う事はあっても「やってもできなかったね、努力したのはちゃんとしってるよ」と言ってほしかったもんです。
だからこども心に教師を信用しなくなり、バカにしてました。教師の嘘、矛盾はすぐに理解できるし反抗する力のある子どもでした。でも成績はどんけつあたりです。やっても憶えられないし、やる気もなくなってたし。 社会のシステムに適応する能力は著しく欠如していました。が、社会を直感的に理解する力や人の感情を理解する力は天才的だと子どもの頃から自覚していました。 そんな私、今は複合的援助として、少なくとも日本では唯一の援助を提供していますし、ロジャースの方法論を発展させたメンズカウンセリングを提唱し実践しています。欧米の著述やらアカデミズムからソースを得て得意顔している権威依存症の専門家には、私の発言は到底理解できないでしよう。 今日もカウンセラー養成講座での講義をしてきましたが、アカデミズムによらないでも、私の直感的な理解と言語能力で先達の研究をわかりやすく解説できるのが我ながら面白いものです。 私の能力は私の努力によるものではないし、勿論場数とか出会いとかいろいろ助けられてはいるものの、基本的には私にもともと備わっているものでもあり、また誰かにインプットされたものという言い方もできるかもしれません。 こんな私からすれば、今のアカデミズムによる心理専門家養成は破綻しているのではないか、と思えてなりません。心理だけではなくて、法曹関係も同じかな、まあそっちは私は専門外なので、断言はしにくいけれど・・・。 今、けーさんのお薦めのマイケルホワイトの「セラピストの人生という物語」を読み始めたところ・・たいてい電車の中で読もうとするので眠くてちつとも進まないけれど・・・すくなくとも最初の三十ページくらいまでは、私の考えていることを彼はすでに文章化しているなってこと。 彼はどうも天才みたいだし、わたしよりはるかに賢い人らしく、精緻に文章化しているのはすごいです。けれどほぼ同じ事を考えている私は天才ばかぼんくらいには自負してもいいなって、あらためて納得。 先日、0ーなんとかさん酒飲み文士さんとか言ったかな、彼が私の文章が自信満々で大嫌いとの事書いてたけれど、確かに私は自信満々で書くし話します。またカウンセリングやその他の事もやります。その自信は、どこからくるのか ・・・・・ひとつにはあちらかな。もひとつは当事者かな。 先日も深夜の電話スーパーバイズをしたけれど、その方の置かれた状況の難しさは手に取るようにわかるし、その方のぎりぎりの努力がその状況での最善の当事者支援になり得ていることも理解できます。専門家が理解できない当事者の心理を理解し、適切な支援につなげて行く現場の援助者のエンパワーメントができているとしたら、私はとてもうれしいし、こういった事で、私は私の援助論や、特異な能力について確信を深めて行く事ができます。 でもねえ、こんなに自信満々だったら、私を知らない人からは嫌われるよねえ。顰蹙もかうだろうし。でもできるだけ顰蹙は買ってもケンカは売らないようにしているけれど、こうやって書く事自体がケンカを売る事になるんですよねえ、専門家の思考の枠組みから考えたら。まっしかたないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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