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テーマ:DV・虐待(98)
カテゴリ:DV
今夜も男のグループワークでした。スタッフも含め14~5名の参加者がいるので、けっこう運営(ファシリテート)も大変です。なんせ、会場の都合で一時間半という時間枠がありますから。今日のファシリは私ではなく、Nさん。
新しい参加者もいてウェルカムメッセージをかねた近況報告だけでもかなりの時間が経過してしまいます。特に今日は三週ぶりなので、みなさん言いたい事がたくさんたまつていますし。 自分の気持ちや状況をコンパクトにまとめてわかりやすく話せるにはかなりの慣れが必要です。まず、自分の気持ちに気付けない人は気持ちを言語化できず、状況や考えを長い時間かけて語ろうとしてしまいます。本心に気付けていないから、なかなかうまく伝わりません。 さらに、慣れない人は、人の前で語る事すらできずに、気持ちを場にとどめる事で精一杯となります。 けれど、このような参加者がいても、説教するでもなく、指導するでもなく、(基本ルールはペーパーで渡し、さらに説明もしています)場の力にまかせます。 慣れた参加者は聞き上手になっていますから、語り手の気持ちを引き出しつつも全体状況を見ながら、自身の語りの時間を短くしより伝わりやすく気持ちをうまく語ります。 この慣れた人たちがいる事で、新しい話せない人、少し慣れた状況を長く語りたい人、がいても、特に問題にもならず、慣れない人たちには、うまい語りを聞くトレーニングになっていきます。 こうした、いろんな人たちの集まりで場ができるのですが、慣れた人たちが増えて行くと、場の力・・場力(ばりょく=造語です)ができ、新しい参加者にとってもいごこちのいい、ともに学びあい育ちあえる、すてきなサンクチュアリーとして成長して行きます。 そんな場を育てて行くのがファシリテーターの仕事なのかもしれません。単に場の調整をし、進行を見守るだけがファシリの仕事ではないような気がします。 Nさんと私がワークを初めてすでに十年程になりますが、今のグループの中にもかなりの長期間の参加者がいて、彼らは場には大きな力を発揮してくださいますし、彼ら自身もスタッフなりファシリなりに育ってくれています。 六年程前にマサチューセッツのあるグループを見学した時に14人のスタッフのうちワークを卒業した当事者は何人か、との私の質問に、二人だ、と答えたのが印象的でした。当時のアメリカの老舗加害者プログラムグループで予算規模も私たちとは雲泥の差があったけれど、私はこのプログラムでは加害者は変れないとの確信を深めました。 刑罰代替としていやいや参加した当事者がムショに帰りたくないがために参加するなら、ワークが終わればしゃばに帰りはしてもスタッフとしてとどまる事はないでしょう。いやいや参加した当事者が、自分の人生を振り返り、暴力や犯罪に頼らなくても幸せになれるという、人生の書き直しを実現できたら、その喜びを分かち合える仲間とは、簡単に離れる事はないでしょうし、新たな参加者にその喜びを伝えたいと、スタッフになっていく人も少なくないでしょうから。 プログラムの内容そのものではなく、ファシリテーターに場力を育てる人間的器があるかどうか、それは人を信頼する力があるかどうか、に、プログラムの有効性が表れるのかもしれません。 教育的更生的プログラムが一概に有効性が低いとは断言できませんが、メンズカウンセリング理論でワークを行う私には、私の理論がまちがっているとは思えません。それはワークを十年続けて感じる実感です。日本ではおそらく暴力加害者に対するグループワークを十年続けたグループは他にはないだろうから、比べようもないのだけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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