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カテゴリ:日記
息子の弁当を作り続けて十年?彼には肩身の狭い思いをさせた事と思います。何と言ってもおかしな親父である私、何かにつけ目立ってしまいます。 新聞やTVにでてみたり、主夫としての生活を世間にさらしたり、宿題禁止令(自宅では宿題しない、残業を自宅に持ち帰らないのと同じ。小学校まで)だしたりと、まあ世間では理解不能な生活しているから、世間のまっただ中である学校生活を送る彼は浮いてしまわないよう、気を使っていたことと思います。 ですから、つねに目立たないように浮かないよう、気にしていたのはよくわかります。何につけふつー、がモットーの彼でした。 うまれたときから線がほそく、自己主張の少ない子どもの彼の尻を叩いて社会に適応させる事は私の理念には反するし、そんな事をしたら彼はたちまち潰れてしまうだろう事を心配していた私。 自己肯定感がなく、対人不安の強い事から、社会に出て行けない若い人や、社会に出ても問題を起こしたり、家族を持っても様々な問題を引き起こしたりする人の悩みや相談に接するたびに、生育の際の親やまわりの大人たちの関わりのまずさが見えてきます。 心理学を多少かじっている今はそれを文脈で語る事はできますが、子育て当時の私はそう言った文脈も知識もありませんでしたが、直感的な判断で息子と接していました。今であれば、当時の私よりもっとうまく子育てできたでしょうけれど。 そんな私の子育ての中で息子はそれなりに育ってくれて、今日に至ります。そのプロセスは親として人として未熟な私を、いろんな意味で育ててくれました。ありがたいことです。息子に感謝。そんな思いで弁当作ってるからか、作ってやっているとか、義務として作るとかいう意識はありません。そんな弁当をほとんど毎日残す事なく食べてくれるのも有り難いものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/07/28 09:37:44 AM
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