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カテゴリ:メンズカウンセリング
先日、急のカウンセリング依頼をうけてたまたま空いてたので、即来談と言う事がありました。もともと家族関係は良好ではない方で、悩みを自分で引き受けてしまわれるタイプでしようか。
こんな方は対人関係としては激しい事にはならず、自分の世界に閉じこもる事を選ぶ傾向があります。たちまち問題は表面化しないけれど、長期的には何が問題なのかはっきりしないまま、不全感の中で暮らし続けると言う事になりがちです。 その方は、カウンセリングをはじめた頃は、緊張も強く、ことばも少なかったのですが、カウンセリングを重ねるうちに、表情が柔らかくなり、言葉も多くなりました。ほんとに対話が心地よく、深いラポールができている安心感を感じさせてくださるようになりました。 先日の来談は、そんなその人の突然の大胆な行動の結果の来談ですが、家族にすれば、突然の問題行動、に見えたのかも知れません。けれど私はその方のお気持ちを聴いているから、それが問題行動とは思えず、むしろ、問題と直面化しようとしない家族に対する、問題提起のようにしか思えません。 ある行為が問題行動なのか、主体的自己決定行為なのか、それは見る視点によります。他人の言説、専門家のラベルの視点で見るよりも、当人の視点で見るのが一番理解しやすい方法のように思えます。 けれど、当人の口を封じて専門家の知識を入れ込もうとすればする程、問題は大きくなるような気がしてなりません。 それにしても、その人がそんなことまでできるようになった事がとても嬉しくて、ついにこにこしながら(お互いに)対話していた私です。家族の混乱も見えてくるので、なんとも複雑な気持ちではありますが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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もしかしたら一事が万事なのかもしれませんけど、問題行動は問題提起でもある、と確かに感じることが多々あります。
かつて平岡正明という社会批評家が、『あらゆる犯罪は革命的である』といかいった本を出版して、マニアックな読者に反響がありました。これも、犯罪は問題行動だけれど、革命的といった問題提起にも受けとめられる例の一つかもしれません。 私自身、心身の不調で各方面に何かと不義理をして御迷惑をおかけすることが、しばしばです。結果的に、私の問題行動に潜在的な私なりの問題提起が含まれている場合もあるような気もします。 自他が、何を伝え、何を、どう受けとめるか、各人各様で、これもまた人生の妙味なのかもしれません。 (2009/08/22 08:12:00 AM)
TAMTAさん
>もしかしたら一事が万事なのかもしれませんけど、問題行動は問題提起でもある、と確かに感じることが多々あります。 そうですね、ナラティプでいう問題の外在化っていうやつに近い概念ですよねえ。 > > 私自身、心身の不調で各方面に何かと不義理をして御迷惑をおかけすることが、しばしばです。結果的に、私の問題行動に潜在的な私なりの問題提起が含まれている場合もあるような気もします。 なるほど。とはいうものの身体は大切にね。 > > 自他が、何を伝え、何を、どう受けとめるか、各人各様で、これもまた人生の妙味なのかもしれません。 ほんとにひとつの物語も別の角度から読み直すとまつたく違うものになってしまう。「人」は面白いです。 ----- (2009/08/22 08:25:49 AM) |
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