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以前、何かの論文?で一般的な医療診断の誤診率が数割とかいう文を読んだ気がするけれど、最近の日経サイエンスの記事で、自閉症の治療に関して、診断や治療が、必ずしも有効とは言えず、藁にもすがる親が怪しげな治療に走っている危険性も論じられていました。
精神疾患とか人格障害とか、境界性人格障害とか、まあ次々と新しいラベルは作られます。昔の人はキツネ憑きと言って座敷牢に閉じ込めて安心していたけれど、今は統合失調性妄想と言って薬付けにして保護室に閉じ込めて安心しているのかも知れません。 キツネやタヌキはバカバカしくても、セロトニンやドーパミンなら皆さん納得するのかもしれません。どっちでも同じなのに(笑)問題は心病むとラベルを貼られた人の問題ではなく、心病む人の問題として納得する心病む人の問題なのかも知れません。、反精神医学のレインの考えはこういうかちかんからくるのかも知れません。 異質の他者を理解し、思いや体験を分かち合う事で、人はストレスを軽減し生息密度を上げたり多様な生存戦略を選択する能力を獲得しました。 近代合理主義はそんな人の心の可能性・多様性を否定し、合理性画一性を善とし、合理主義では理解できない現象を病理として排除する思想を作り上げました。 近代合理主義という枠の中には収まらない、人の心の深さ、不思議さにはいつも驚かされる私ですが、そんな私から見れば、心を治療したり操作できると考える人たちの心の病こそ、問題の本質と思えてなりません。 テレビでも新聞でも、不安をあおって、その不安を消費行動に結びつけようとする資本経済の圧力があります。今日の新聞記事に、殺人事件が戦後最小をさらに更新したけれど、その事はほとんど記事にならない、との主張がなされてました。 実際、戦後五十年代~六十年代が殺人事件のピークで現在の倍くらいはあったように思います。また、諸外国と比べても日本は実に安全な国で、毎年数千人が銃で撃ち殺されているアメリカに比べたら、なんと平和な国な事か。病死も少なく、世界でも最高齢の長寿社会だし・・・ なのに、多くの国民は不安をあおられ、汲々として生活しています。生存が過酷で多くが老化の前に死亡する貧困な世界も現実にあり、わずかな医療や食料がなくて満足を知る事もなく亡くなる子ども達がどれほど多くいるか、その事を理解することもなく、自分の子どもの学歴を本気で心配する親にとって、命の意味も、日々の存在の意味も理解はできないのも仕方ないのかも知れません。 不安や恐怖は世界の問題と言うより、世界を知らず、自分の命の意味も理解できない人たちの心の闇の問題、と言えなくもありません。でもこの事をほんとに実感してもらうのはとても難しい。生きる希望を失った者や死の淵を覗いた者は、そのあたり、すこし通じ易いように思う私です。 そんな私がいつも言う事は「だいじょうぶ、一人じゃないから」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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