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昨夜は依存症当事者の自助ミーティング「フリークス」でした。前回のミーティングではそれぞれの依存体験について語りあつてもらいましたから、今回はテーマを絞って語り合う事にしました。
私が口火を切るかたちで、前回はあまり出てこなかった性依存について語りました。アルコール依存とか薬物依存はある程度社会的認知を得ているので、その対応のための社会資源がある程度はできていますが、DVや性については、なかなか社会的認知もなく、当事者が語り合える場はほとんどないのが現実です。 語れない、ということはそこに社会的抑圧構造があるということでしょう。憲法では、基本的人権として思想信条、表現の自由が認められていて、性は人権と絡む部分があるので表現にはある程度制限を受けるのも当然ですが、考える事、語る事については、なんら法的に抵触する事はありません。 また性的な行為についても、公的な場では制限を受けますが、個別の関係や場であれば、性的活動は自由です。もちろん、国によっては、同性愛が犯罪であったり、売春が犯罪であったり、とお国柄もありますが、日本では、基本的に年齢、売春に関しては、性は犯罪にかかる部分もあります。 が、それ以外は基本的に個人の自由です。もちろん、婚姻と言う制度の中では婚姻が性の排他的な所有関係の契約の概念を含むから、契約違反として、損害賠償請求の対象にはなり得ます。が、刑法ではないので、逮捕とか刑事罰はありません。 もちろん契約者としての配偶者以外に損害賠償請求はできません。 けれど、性に関してもDVに関しても法的制約を超えて、人々の意識はそれらを抑止しようとします。臭いものには蓋、疑わしきは罰する、という価値観がまかり通っています。それは、問題をアンダーグラウンドに追いやる事になり、かえって問題の闇を深くするだけなのですが・・・。 ある当事者は言ってました「鬱の事は自助グループで話せるけれど、その中でもDVの事は語れない」別の方は言ってました。「アルコール依存症自助ミーテイングでも暴力問題は見えているのに、それにむけて語り合う事は難しい」と。 暴力でも性でも抑圧を受ける事なく、自由に語り合い、それぞれの尊厳が守られる場はほとんどどこにもないのだろうと思います。 とゆーわけで・・・昨夜のフリークスですが、性が依存であるか嗜好であるか、線引きは難しいし線引きに意味があるとも思えない、ということで、自身の幸せと性について、その体験や思いを語り合いました。もちろん、語るのは自身であって、自身と関わっていても他者の事は語らないのは基本的なお約束です。 パートナーとのセックスと風俗でのセックスの意味の違いとか、セックスにおける対人関係とか、コミニュケーションとか・・・etc そう言えば、昨夏に出たアンアンは恒例のセックス特集ですし、最近出た婦人公論もセックス特集でした。あの婦人公論がねえ、と意外な思いで、それらをぺらぺらめくりましたが、特に食い入るほどに面白い訳でもなく、ぺらぺらなるほど・・と言う程度のものでしょうか。 日本の女たちにとっても裏ではなく、表でセックスが語れる時代になってきたと言う事でしょうか。ただ、商業主義に絡めとられての流れであれば、それもなんだかなぁ、と言う思いになります。 もちろん、人間の有り様ですから正解も善悪もスタンダードもアブノーマルもなにもない訳ですが、その混沌を受け入れられない人は、やはり、与えられた小さい枠の中で思考する事の方が楽だし、葛藤せずに済みますので、自由な語りに嫌悪するかたちで自己防衛をはかります。 けれど、それは自身の心に世間の抑圧構造を内面化するだけで、無意識領域での葛藤を引き起こす事で様々な心理的なトラブルの原因になり得ます。このあたりはフロイトの言ってる事です。 そんなこんなで、まあ三時間ほどもたっぷりと語り合いましたが・・・ほんとみなさんよく語ってくださいました。混沌の中からみなさん何か、いろいろと大切なモノを見つけてくださったのではないかと期待しています。 次回フリークスは三月七日、夜七時から。次回はアルコールについて語りたい私です。私もアルコールは15年くらいやめられなかったし、またアルコールで救われた部分もあるし・・・みんなとこのあたりシェアできたらいいな。もし、依存症に悩んだり困ったりしている方がおられたら、お声かけしてくださればうれしいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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