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今日は親子ネット関西の集まりでした。初参加の方がたくさん来られて20名くらいの参加者になりました。引き離しにあい、子供と会えなくなった親の悲しみや怒りは当然と言えば当然だし、いつもながらに聴く程に胸痛みます。
子供と引き離された当事者にすれば、引き離した相手や相手を支援する弁護士に対する悪感情が湧くのも当たり前ですし、なんとか子供との面会を果たせるように法的な闘争のステージに移行するのもまた当然のこと。今日の集まりでも多くの当事者は調停や訴訟の当事者でした。 けれど、引き離された親にとって、今の司法がまともな判断をしないという現実や、そもそも司法がまともな判断をしないのも親子や家族をめぐる法律がなんとも時代錯誤でお粗末なのだから、まともな司法判断は望むべくもないという現実を、それまでは知らずにいたのも事実です。 残念なことに多くの当事者もその事実に気づくのは当事者になってからのこと。当事者になる前は、日本という国はそこそこまともな国だから、真面目にやってれば理不尽なことにはならないと安易に考えています。 そんな当事者に対して、私は支援する立場にありますが、私は法的な支援はすることはないしできません。私が行う支援はあくまで心理的な支援であって、どちらが正しいとか、法的正当性を助言することもありません。私は引き離された親も引き離した親も、どちらのお話もお聞きしていますしね。 こんな私が今日も少し話したのは、引き離された親はその時点から問題が起こっているけれど、引き離した相手は引き離すずっと前から問題が起こっていて、その結論として引き離しを行っているということ。 引き離した側の引き離さざるをえない事情(ことの善悪は置いといて)について引き離された側はほとんど何も気づいてないし理解できていません。本来であれば、法律や司法判断はその夫婦間の問題について子供の福祉を最優先に判断するべきだし、現に多くの先進諸国はそのために共同親権・共同養育が当たり前になっています。離婚に際してかなり厳しい判断をされます。一方的な引き離しはできません。またDVや虐待に関して厳しい対応もされますが、加害者プログラムなどの修復的な機能も取り入れていますし、そのことと親子分離は別のこととして判断されます。親がどんな親であれ、子供の福祉のためには面会を保証しています。 本来であれば、理不尽な状況も相手の行為に由来すると判断すべきではなく、法律や制度の問題であって、そんな法律や制度しか作りえない政治家を私たち国民が選んでいるというところが問題の本質です。また夫婦間葛藤について、適切に支援する援助者の不在という問題もありますし、そのことで修復的な視点に立ちえない両当事者の問題もあります。 この引き離しの問題は、日本人の様々な問題が重層的にからんでいる根の深い問題ですから、五年十年で解決することはありません。けれど個々の当事者にすれば、そんなに待つこともできません。かといって相手が悪いと全てを相手の問題に転嫁して相手を責めていればいいだけなら簡単ですが、それでは何も解決しないし、誰も幸せになりません。 そんな、本当に理不尽な状況ですが、私は法的闘争にはできるだけならないよう、修復的な支援を心がけています。痛みには寄り添いますが、感情を煽るのではなく感情を昇華させ、家族みんなの幸福のためにどれだけ冷静な対応を本人が選べるか、その辺りの心理的な支援が私の仕事です。 幸い、こじれる前に私に繋がってくれた方のかなりの方が、離婚にさいしてもひどい争いにならずに離婚を可能にしてるし、そんな離婚であれば面会もひどくこじれることも少ないようです。こじれる前に、できるだけ初期の段階で私に繋がってくれれば、その後の関係も比較的良好な状況になる可能性も高いのだけれど・・私の知名度も低いしねー・・・私も営業が下手だしー どうしましょ ブログに納得いただけたら、クリックお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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