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今日は、午前と午後と二件の女性のカウンセリングでした。どちらの方も、自己肯定感が低いということは自覚されていて、何とかしなくてはと自分なりに努力されてて、それなりに力はついてきておられます。
けれど、力がつけば、状況も変わり、周りからも期待されたり、頼られたり・・・そのことでまたしんどさが再燃したり・・・ほんとに行ったり来たり一朝一夕に人の成長はありえません。回復とか育ちとかいうのは、そういうタイムスパンでとらえないと、期待が大きいとかえって回復が難しくなったり。 できるとかできない、ダメとかダメじゃないとか・・・その判断基準はなになのか、実は本人もあまり意識していない場合がほとんど。ほんとはあるがままでいいんだけれどね、と私は答えます。いい母でなくても、いい妻でなくても、ダメでも非常識でも破廉恥でも、なんでもいいよねって。 それで問題が起こったら、問題を起こした人の問題、それは必ずしもあなたの問題ではないよね・・・etc そんなこんなを話してたら、つい先ほどのしんどくて胸がつぶれそうな不安や怒りが・・不思議と収まっていくようです。 頑張って頑張ったけれど、もう無理・・そんな時、がんばれではなくて、頑張らなくても大丈夫、あるがままのあなたが一番いいですよねえ、と答える私。頑張らなくて、自分のあるがままを受け入れたら、不思議と心が穏やかに、軽くなり、自然としたいことができるようになるもの。 人はどう言おうと、自分のやりたいようにやること、そのために自分で考えて、自分で決めて、自分でやる・・・もちろん結果の責任は自分で引き受ける。そのための見守りとか、寄り添い、時には分かち合いとしての共同作業が私の仕事。 そんな私の仕事は、私のあるがままであるがままのクライアントと向き合うこと。お話を聞かせてもらうだけではなくて、クライアントの人生と私の人生の出会いと、物語の共有から、お互いの成長や回復が始まります。そんな時私の過去の様々な体験が物語の素材として役に立ちます。同じようにクライアントの体験が私に気づきや学びを与えてくれます。 ダメでなくて、立派になった先生には、ダメでいいという価値観はなかなか理解も肯定もできず、なんとかダメな底から助け出してやろうと、あれやこれや知識やスキルを並べます。けれど、その構造そのものがクライアントのダメを強化し、ますます回復を難しくしたり、時には二次被害をもたらしたり。 そういえば、昨夜の男ワークは、いい体験と悪い体験、それぞれの体験の状況と感情を語り合ってシェアしてみましょうというもの。状況にフォーカスすることは簡単だけれど、見えない感情に意識を向けるのは難しい。何度もトレーニングを繰り返して初めてリアルタイムに自分の感情を理解し、言語化することもできるようになります。そのうちダメだけど、けっこういいヤツかもしれない俺って。と思えた時、人を力で支配したり、優越したりしなくても、今の自分で充分オーケーと思えて楽になれます。ここには被害も加害も、女も男も、関係ありません。あるがままの私でいいよねって思えんないうちは、いつまでたっても本当の回復、本当の脱暴力は難しい・・・・でもこのパラドックスって・・・世間には理解されないのかな・・・まっいいけれど。 ブログに納得いただけたら、クリックお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/05/13 05:10:13 PM
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