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テーマ:最近観た映画。(39883)
カテゴリ:洋画感想
■監督:ニール・ブロムカンプ ■出演:マット・デイモン/マックス・ダ・コスタ ジョディ・フォスター/デラコート高官 シャールト・コプリー/クルーガー アリシー・ブラガ/フレイ ディエゴ・ルナ/フリオ ワグネル・モウラ/スパイダー ■ストーリー 解説 「第9地区」のニール・ブロンカンプ監督が「ボーン・アルティメイタム」のマット・デイモンを主演に迎えて放つSFサスペンス・アクション大作。人類がスペース・コロニーに築かれた美しき理想郷“エリジウム”に暮らす少数の富裕層と、荒廃した地上で虐げられる大多数の貧困層に分断された近未来の地球を舞台に、ある目的のためにレジスタンス軍に参加し、強大なエリジウム政府に立ち向かう一人の男の運命を壮大なスケールで描き出す。共演はジョディ・フォスター、シャールト・コプリー。 あらすじ(※ネタバレ込み要注意) 2154年、超富裕層は、大気汚染や人口爆発により生活環境が悪化した地球から離れて、衛星軌道上に建造されたスタンフォード・トーラス型スペースコロニー「エリジウム」で暮らしている。アーマダイン社が設計・施工したエリジウムでは、高度な科学技術によって市民は傷病から解放され、水と緑にあふれた理想郷での暮らしを享受できる。それは地球上で暮らす貧しい人々の憧れとなっている。 一方、荒廃してスラム化した地上では、人々は過酷な労働とエリジウムより遥かに制約の多い医療やドロイドによる厳しい監視に喘いでいる。市民はエリジウムの生活に憧れ、密航を企てる者もいるが、エリジウムはドロイドや犯罪者崩れの傭兵を配して侵入者の排除に努めている。反移民法を強硬に執行するエリジウムの防衛長官デラコート(ジョディ・フォスター)は、政敵排除のため経営不振のアーマダイン社のCEOカーライルを巻き込んでクーデタを計画している。 そんな中、ロサンゼルスで育ちアーマダイン社のドロイド工場で働くマックス(マット・デイモン)は、幼馴染のフレイと偶然再会する。ある日、マックスは工場での作業中の事故により致死量の照射線を浴び、余命5日と診断されて解雇される。マックスはエリジウムの先端医療に希望を求め、闇商人のスパイダーと取り引きし、エリジウムへの片道切符と引き換えにエリジウム市民を襲い、その富へのアクセス権としての脳内データを奪うことに同意する。弱り切った肉体能力を飛躍的に高めるエクソスケルトン(強化外骨格)を神経系と直結する手術を受けたマックスは、カーライルを標的に選ぶ。 データ強奪は成功するが、傭兵との戦闘のなかでカーライルは死ぬ。クーデタに用いるためのエリジウム再起動プログラムを脳内にコピーしたマックスは執拗に狙われる。負傷したマックスに手を差し伸べ看護したフレイには、白血病で余命のない幼い娘マティルダがいる。マティルダから包帯を巻いてもらいながら、マックスはマティルダが語る物語のあらすじを聞く。「小鳥を助けたカバは見返りに何を得たのか」と問うマックスに「友達を得た」のだとマティルダは答える。脳内データを人質代わりに、マックスは傭兵のシャトルをハイジャックし、先にシャトル内に拉致されていたフレイ、マティルダとともにエリジウムに向かう。マックスは自らの死と引き換えに、全地球人口をエリジウム市民に加えて再設定したエリジウムのリブートボタンを押す。 感想。ネタバレ込み要注意。 結構前にレンタルで観たので記憶が曖昧な感想ですみません(;´Д`)メモを取らずに観ちゃったので大雑把な感想だけ。 テーマは格差社会。物凄く分かり易い描写をしています。 特権階級と、搾取される底辺層。これでもかってほどに、格差を明確にしてますね。アメリカ社会そのまんまを大げさに描いた感じ。 でもちょっやり過ぎかなぁ〜という印象。 めっちゃ万能な医療ポッド(癌だって顔面破壊の重傷だって一瞬で治療しちゃうw)を巡るお話なのですが、そこまで高性能なポッドじゃなくても庶民向けにもうちょっと簡易的な医療器具が地上にありそうなものだと…ここまで技術が進化してるって前提ならね。 なんかその辺凄い違和感。 それから主人公マックスが工場で被爆しちゃう事故だけれども、これは大きな装置の中に製品を入れて放射線か何かを浴びせて仕上げる工程?で、装置の中で製品が引っかかって扉が閉じなかったので上司に命令されてマックスが装置の中に入って製品を動かしたら、当たり前だけれども扉は普通に閉まっちゃってマックスが閉じこめられたまま装置が作動したから、マックスは大量被爆しちゃったのね。 毎日使ってる機械で熟知してる筈なんだから、中で引っかかってる製品を外しに行くときには扉が閉まってしまわないように、普通は入口に何かを噛ませて出口を確保してから中に入るよねぇwwwどうしてもマックスを余命5日にしたいという強引過ぎる脚本にちょっと萎えたwww マックスの初恋である幼馴染みの女性フレイが何でマックスと数年離れていた(しかも離れていた間にフレイは娘を産んでるし)のかも描かれて無くて消化不良。ただの幼馴染みで別れたのか付き合ってた時期はあったのかもよくわからん。 フレイの方の想いもよく分からない。彼女はともかく重病の娘が第一で、それは当たり前なんだけれども…マックスは、非常に純粋に初恋の相手としてフレイが大事だったのかな。フレイの娘を助けるために自分の命を投げ出すほどに。 純愛を描いているんだろうけれども、練り込みが足りないから勿体ない。 離れていた幼馴染みより、ずっと傍に居てこんな危険な事にも付き合ってくれてた親友の方をもっと大事にしろよと突っ込まざるを得なかった。目の前で親友殺されてんのに保身第一とか親友可哀想(´;ω;`) この作品、あちこち作り込みが甘くて散漫な印象を受けて非常に勿体ないと感じた。 ジョディ・フォスター演じるデラコート高官も何がしたかったのかよく分からなかったし(´・ω・`)なんなんこのおばちゃん。 ともかく登場人物の行動や思考などが色々矛盾だらけで混乱しますわ。もしかしたら1本の作品に収めるために、色々端折りすぎてるから意味不明になってるのかもしれない。 お金が掛かってる映像で、わけのわからんヒューマンドラマじゃなくて徹底的にSF作品にしちゃえば良かったのに勿体ないよ。 何を訴えたいのか伝わってこないんだよね、この脚本。 格差社会への皮肉なのか、純愛や友情なのか、それともアクションか…これ!といった押しが無くてボンヤリした印象を受ける。 アクションも中途半端だし主人公の逃亡劇も中途半端だし。全てが中途半端。残念。 面白くないわけではなかったですよ。そこそこ楽しめたんですが、心には全然響いて来なかった。 映像はハイレベルだったのにマジ勿体ない(´;ω;`) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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