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あま野球日記@大学野球

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2009.02.22
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カテゴリ:近鉄バファローズ

先ほどの続き・・・


2月7日にテレビ朝日が放送した『日本中が見た泣いた壮絶10・19
ロッテ近鉄死闘』
、いろいろ思い出すことがありました。20年あまりの
時間の経過とともに、ついフェイドアウトしそうだった記憶が、また甦る
いい機会になりました。


特に印象に残ったのは、梨田昌孝が語っていた言葉です。
「喜んだり、悲しんだり、泣いたり、笑ったり、抱き合ったり、いろんな表情を
見せてもらった・・・」


ボクもこの言葉に共感できます。あの「10・19」は何だったのか? そのこと
を思う時、梨田が言った言葉がぴったり当てはまるのです。


そして、その言葉のような試合がなぜ起きたのか? そんなことを考えました。
たぶん、それまでの球団・選手・ファンそれぞれの歴史や思いがこの「10・19」
に結実したのであり、その裏には人と人の確執や、挫折を味わったそれぞれの
苦い経験が礎になって、選手もファンも同じように感動できる類稀れなドラマが
生まれたんだろう。そんな仮説を立ててみました。


あまり整理できていないので、テーマを以下のとおり、ランダムに分類して
みました。


例えば、

(1)近鉄の選手たち
「10・19」が、現役生活の中で最も輝いたように見える選手がたくさんいました。
阿波野秀幸村上隆行鈴木貴久吹石徳一などの「生え抜き」組が
そうでしたし、淡口憲治新井宏昌などの移籍組だって、ひとつひとつのプレー
に魂が込められていて、とても輝いていました。


(2)近鉄の首脳陣たち
何と言っても仰木彬監督が「10・19」の主役でした。18年にも及ぶコーチ生活
を経て、やっと監督に就任したその年に「10・19」が生まれました。西鉄時代の
同僚・中西太がヘッドコーチを務めていたこと自体がドラマでした。ただ、三原脩
を師と仰ぎ、勝利のためなら投手を酷使する流れを汲む仰木さんの手法は、
権藤博・投手コーチとの確執を生み、そのまま、「10・19」を迎えていたようです。


(3)ロッテの首脳陣・選手たち
ロッテがなぜ、「10・19」にあんなに必死になれたのでしょう?
有藤道世監督の執拗な抗議、「ジス・イズ・プロ野球!」と呼ばれた水上善雄
そして本塁打を放ち、首位打者になるべく打率を稼いだ後は、一切試合に出場
しなかった高沢秀昭は、それで本望だったのでしょうか?


(4)近鉄球団
「パ・リーグのお荷物」と言われた時代から「10・19」まで。55年に及ぶ球団経営
を、いったいどう総括したらいいのでしょう? 


(5)ファン
なぜボクを含め、マイナーな近鉄バファローズという球団の応援を続けたのでしょう?
そして、「10・19」にあれだけ燃えることができたのは、それまでの近鉄球団への
「自虐的な(屈折した)思い」が一層拍車をかけていたのではないか? そんなことを
思ったりしています(笑)



※いずれにせよ、これらはボクの勝手な思いです。
近鉄のことを書くとき、この新テーマの『近鉄バファローズを忘れない!』
自由に使って、かつてファンだった皆さんが勝手に思いを書いて、「寄せ書き」
みたいになれば嬉しいです。


そして10年後も20年後も、近鉄への思いを(少しずつでも)書き連ねることが
できたら、きっとその先に何かいいことがある!ぽっ 
そんなことを期待したいと思います。

 

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Last updated  2009.02.22 23:41:16
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