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あま野球日記@大学野球

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2010.05.24
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カテゴリ:大学野球

1960年秋、伝説の早慶6連戦(上)の続き。


■この6連戦が行われている間、ファンの熱狂ぶりは佳境に達した。wikipedeiaでは、この早慶6連戦を「六大学最後の栄光」と称していたが(このことは最後に)、入場券を求めて1500人もの徹夜組が出現したり、留守中の野球部合宿所には強盗が出没した。


■前回同様、当時の朝日新聞記事より。
(1)1960年(昭和35年)11月10日付、7面。見出しは「早慶戦の売上金、百余万円盗まる-慶大合宿所」。
慶應大野球部合宿所で、9日朝から同夕までの間に押し入れの中にあった手提げ金庫がドライバーでこじあけられ、早慶戦の学生入場券売上金など現金百余万円と額面六万余円の小切手が盗まれたと、同日夕神奈川署に届け出があった。同署の調べでは9日は早慶戦で全部員が留守だった。

犯行のあった11月9日は優勝決定戦初日だった。人気過熱のあまり、部員がもぬけの殻であることを知った上での犯行だったに違いない。ただ手提げ金庫ならそのまま持っていけばいいとも思うが。まぁ、そんなことはどうでもいい。


(2)同年11月11日付、11面。見出しは「徹夜組1500人、今日の早慶戦に」。
きょう行われる早慶戦再試合の前夜の10日夜は、両大学学生はじめ熱心なファンたちが神宮球場のまわりに長い列を作った。前回が日没引き分けの白熱した試合だっただけに、この夜並んだのは四谷署の話だと、ざっと1500人。トップにいた学生は10日の昼ごろから並んでいたという。寝袋や毛布にもぐり込む学生もあり、ロウソクをたててマージャンの卓を囲み「徹夜ですよ」と楽しむ学生などなかなかにぎやかな風景だった。

雀卓を囲んで徹夜していた学生たちは、たぶん今年で70歳前後。今でも熱心に神宮に足を運ぶオールドファンたちの姿がだぶって見える。


■そしてwikipediaより。
この六連戦には連日満員(計38万人)の観客が詰めかけ、決定戦が引き分けに終わると次の試合のチケットを求める徹夜組の列が早速でき上がるという具合だった。焚き火の材料を求めに青山霊園に走る者も出る始末だった(狙いは古い卒塔婆)。六連戦の模様はNHKだけでなく民放各局が連日放映、全国の注目を大いに集めた。

かくして数多くの逸話を残した六連戦は、関係者のみならず人々の間で「伝説」となった。当時の選手たちだけでなく早大の関係者、当時を知る野球ファンのなかでは、六連戦は「あの」という言葉を頭に付けて語られている。70年を越えたプロ野球でも決定戦再試合は未だにゼロで、六連戦を越えるような死闘は、今後二度と出ないとも言われている。

この当時は1試合あたりの観客動員数でプロ野球との地位が逆転しつつあるときだった。六連戦と前後してプロ野球は徐々に観客数を伸ばし、国民的な人気スポーツの地位を確保した。一方六大学は少しずつ観客数を減らし、テレビ中継していた民放局も徐々に放映から撤退していく。そのため、この六連戦を"六大学最後の栄光"としてとらえる向きも存在する(長嶋茂雄の立教卒業→プロ野球入りの時機を転機とする意見もある)。


「伝説の早慶6連戦」(下)は、主要選手たちのことを書きます。

◇関連記事 「学生野球をめぐる歴史」

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Last updated  2010.05.25 01:02:26
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