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カテゴリ:明治世相百話(リンクのない新着テキスト)
栖鳳の懐中時計
芸術に技巧家があるやうに生活にもまた技巧家がある。尾崎法相の生活は西園寺陶庵侯のそれと比べて技巧がいかにも態《わざ》とらしい。中村|鴈治郎《がんぢらう》の生活は片岡|仁左衛門《にざゑもん》や市村|羽左衛門《うざえもん》のそれと並べてみると、技巧が著しく目に立つ。画家《ゑかき》では竹内栖鳳の生活に技巧が勝つてゐるのは誰しも知つてゐる所だ。 栖鳳と鷹治郎とがある所で落合つた時の挨拶を側《そば》にゐて聞いた者がある。その者の談話《はなし》によると、二人は柔かい牡丹刷毛《ぽたんばけ》で腋《わき》の下を擽《くす》ぐるやうなお上手ばかり言ひ合つて、一向|談話《はなし》に真実が籠《こも》つてゐないので、一|言《こと》でもいゝから真実《 んとう》の事を言はし度《た》いと思つて、 「唯今は何時頃でせう。」 と訊《き》いてみた。 すると、應治郎と栖鳳とはめいく角帯の間《なか》から、時計を取り出してみた。栖鳳氏は言つた。 「私のは三時半です。一寸狂つてやしないかと思ひますが。」 鳫治郎は一寸時計を振つてみた。 「私《わて》のも三時半だす。さつきにから止つてたやうに思ひまんがな。」 二人は忠実な自分の時計をすらお上手なしには報告出来ないのだ。それを見て取つた第三者は自分の信じてゐる基督の名によつて、二人の懐中時計を持主相応のお上手ものにして欲しいと祈つたさうだ。 自分の霊魂《たましひ》と自分の女房《かない》を信じない人も、懐中時計だけは信ずる。その懐中時計をすらお上手なしに報告出来ない人は、世にも不幸《ふしあはせ》な技巧家である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月03日 10時26分10秒
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