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2012.01.18
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カテゴリ:昭和期・歴史小説

  『殉死』司馬遼太郎(文春文庫)

 本作を筆者は、小説ではなくて、思考の確認、「筆者自身の思考材料」と記していますが、筆者・司馬遼太郎が、乃木希典の生涯を記すに当たって疑問としていた事柄は一つです。
 それは、希典はおのれの軍人としての無能さを十分に知り得ていたか、と言うことであります。

 この認識は、断罪される当事者としてはなかなか厳しいものがありましょうが、間違いなく筆者はこのラインに従って本書を書いていきます。
 もちろん本人の認識がどうであろうと、そんな人物を上司に戴いた下級兵士の「徹底的不幸」は、どうしようもない悲劇ではありますが、もし希典自身がおのれの軍人的無能さを熟知していたならば、その悲劇にもう一つ、「無能な者としてその職に就かねばならない悲劇」が加わってきます。
 それは例えば冒頭に、「乃木希典という、生涯洞窟のなかで灯をともしていたような、そういう数奇なにおいの人物」という表現などでも暗示されています。

 筆者が、本作を小説ではないと書いたのは、このあたりの見極めに、小説として成立するかどうかのツボ(それはいかにも司馬遼太郎的小説のツボ)があると見ているからかも知れません。

 ともあれ、本書冒頭から、乃木希典の軍人としての徹底的無能さは、それがさも当然の前提条件の如くに説かれ続けます。
 ただ、にもかかわらず、乃木希典という人物が過去において「勇将」・軍人の鑑の如くに扱われていたことについては、筆者はそこに大いに同感できる人間的魅力の存在を、客観性を交えて記していきます。
 その人間的魅力とは、凝り固まった一種の精神主義ではありますが。

 そしてさらに、軍人として無能であることの裏腹のような「人間的魅力」は、実は回り回って、乃木希典の軍人としての功績にまるで繋がっていないわけではないというところに、この人物を描くことの魅力のあることが、本書を読んでいるとよく分かります。

 それは具体的に言うと、
 (1)旅順要塞開城についての、「乃木大将をして永遠に歴史にとどめしめた」水師営の会見、
 (2)明治天皇への殉死、
のふたつであります。

 まず(1)について、筆者はこのように書いています。

 乃木は降将ステッセル以下に帯剣をゆるし、またアメリカ人映画技師がこの模様を逐一映画に撮ろうとしてその許可方を懇望してきたが、乃木はその副官をして慇懃に断らしめた。敵将にとってあとあとまで恥が残るような写真をとらせることは日本の武士道がゆるさない、というものであり、このことばは外国特派員のすべてを感動させた。しかしながら、かれら特派員にとって必要なのはこの降伏の写真であり、かさねてそれを懇望した。乃木はついに、「それならば会見後、われわれがすでに友人となって同列にならんだところを一枚だけゆるそう」という返答をした。この場合、この許可のいきさつそのものが特派員たちにとってニュースであり、かれらはそれぞれ感動的な電文をつづってその本国へ打電した。乃木の名は世界を駆けめぐり、一躍、日本武士の典型としてあらゆる国々に記憶された。

 (2)については、希典の遺書内容に触れてこう書いています。

 (略)つづいて理由を書いた。理由は、「明治十年の役に軍旗を失ひ、その後死処を得たく心がけ候もその機を得ず。皇恩の厚きに浴し、今日まで過分のご優遇をかうむり、おひおひ老衰、もはやお役に立ち候ときも余日無く候をりから、このたびの御大変、なんともおそれいり候次第。ここに覚悟相さだめ候ことに候」でおわっている。
 それ以外に、理由は書かれていない。要するに二十九歳のとき軍旗を薩軍にうばわれたことについての自責のみが唯一の理由になっており、この一文があるがためにかれの殉死は内外を驚倒させた。信じられぬほどの責任感のつよさであり、この一文は軍人の責任という徳目の好例として米国の陸軍士官学校の教科書にも採録され、いまもつかわれているという。


 この(2)につきましては、漱石の『こころ』においても絶妙な使われ方をしていましたね。
 しかし、漱石の弟子筋の芥川龍之介の世代になると、この乃木希典の行為は「偏執狂性」を帯びたものとして描かれ、芥川とほぼ同世代の白樺派の面々は、ほとんどこの乃木希典的徳目を憎悪しました。

 本書の筆者の記述態度も基本的には芥川・白樺派に傾斜しつつも、しかし同時に、乃木希典の人生を貫く強固な意志力に、あるいは「魅力」と言えばいい過ぎかも知れませんが、えもいえぬ不思議なもののあることを、筆者の筆は書き落としていません。

 この視点こそが、司馬遼太郎がいまだ多くのファンを持つ理由であろうと思いますが、それは筆者の不思議に琴線に触れてくるような文体とも相俟って、大きな魅力になっています。

 最後に、そんな、司馬氏の説明のうまさを味わえる個所を抜粋してみます。
 これは、希典が旅順に向かう途中の広島で、先に大陸で戦っていた長男・勝典の戦死を知らされた時、希典が家人に「自分と、残る保典(次男で歩兵少尉)の棺がそろうまで勝典の葬儀は出すな」と書き送った部分の説明であります。

(略)それらをすべて偽善であると人から責められても――たとえ面とむかって責められても――希典は無言で堪えたにちがいない。うまれつきどこかるい弱で繊細でありすぎるかれが、若いころから自己を規整しそれに背骨をあたえてきたものはこの姿勢であり、ことに独逸から帰ってのちいわば軍人美ともいうべきものを心掛けるようになってからは、この姿勢がかれにおいていよいよ強烈なものになってきている。

 どうですか。印象的で、とても見事な説明文になっていますね。


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Last updated  2012.01.18 06:13:13
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