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2012.06.24
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カテゴリ:昭和期・後半

  『吾輩は猫の友だちである』尾辻克彦(中公文庫)

 冒頭の小説の読書報告の後半です。
 前回書いていたのは、尾辻克彦=赤瀬川原平の文章は、内容いかんによらず、読んでいるだけで快いと思うということでありましたが、先日、ある音楽の本を読んでいましたら、こんなことが書いてありました。

 ピアニストの友人がこう語っていたのを思いだす。
「ショスタコの前奏曲とフーガは、自分で弾いていると、指の『運動的な愉悦』があるのです」(『チャイコフスキーがなぜか好き』亀山郁夫)


 私は思わず、なるほどねー、と思いました。しかし、さらによく考えてみれば、そもそも楽器演奏にはこういった側面がいつも、少なからずあるのではないか、と。
 私はほとんど楽器演奏などできない人間ですが、それでもこういった「愉悦」は充分想像できそうです。
 あ、エアーギターなんて、そんな「愉悦」の純粋培養のパロディを楽しむ遊びじゃないですかね。

 そんな風に連想していきますと、例えばクラシック音楽を聴いていて、自分でタクトを振ったことのない人なんていないんじゃないでしょうか。
 あなたもきっと、こっそり一人で自分の部屋で、愉悦に浸りながらベルリンフィルの演奏を指揮したでしょう?(私は菜箸を持つと、いつも一人で振ってしまうんですがね。ベートーヴェンの交響曲5番なんて得意中の得意ですよ。ただし始めのちょっとだけ。)

 ということで、音楽鑑賞においては、聴いているだけで快いというのは、ほぼ当然のことであると分かりました。(こんな当たり前のことに気づくだけで、どんだけ時間がかかってんねん!)

 しかし文鳥というのはどうなのだろうか。やはり魔法を持っているのだろうか。それはまだ私は観察していないのでわからない。やはり猫にくらべると文鳥は表情に乏しい。いや猫だって人間にくらべたら表情に乏しい。顔面の表情筋の一番発達しているのはやはり人間である。だから人間は薄笑いを浮かべたり苦笑いをしたりということができる。猫には苦笑いができない。薄笑いもたぶん浮かべることができない。いや極く極く薄い薄笑いなら浮かべているのかもしれないけれど、それはまだちゃんと発見されてはいないようである。でもそのかわり猫の場合は表情筋というものが体全体に分布している。だから猫というのはときどき体全体を使って苦笑いをすることがある。まだはっきりとはわからないがきっとそうだ。

 上手な説明ですよねー。
 この上手さは、筆者の文章が、「見て」そして「考える」タイプのものであるからですね。或いはさらにもう一歩進めて、「見る」ことが「考える」ことになっている思考といえるのかも知れません。

 ご存じのように、筆者は小説家の前に画家(前衛芸術家)でありました。(小説を書き出してからも、画家でもいらっしゃいますが。)
 私は以前、筆者の美術評論を読んだことがありますが、文章が、その絵を見る視線から感じられる感覚と、見事にぴたりと一致しているのに驚いたことを憶えています。
 つまり読んでいて心地よい文体の原因は、画家の文体=見る者の文体であるから、と、まず言えそうに思います。

 地球は六千度の太陽からちょうどいい距離にいて、そのまわりをほとんど円軌道で回っているけど、それがちょっとでも太陽に近づき過ぎると、百度ぐらいはアッという間に上ってしまう。百度というとお湯が沸騰する。人間の血や汗や涙というのもすぐ沸騰してしまうそうだ。そうすると私たちは血も涙もない人間となってしまって、人体は黒焦げの炭素となって、鉛筆の粉みたいにフワッと散って、もう何もなくなってしまう。
 だけど地球はそういうことをしないで、いつも同じ軌道をそれずにジーッと回っているのだから、地球は偉い。ねばり強い性格だ。それが五年や十年のことでなくもう何億年とその同じ軌道を回りつづけているというのだから、地球には頭が下がる。


 上記の文章、このとっても上手な文章を書き写しながらふと気づいたのですが、この文章って、漱石の『猫』のパロディなんでしょうか。
 タイトルは明らかにそうですから、筆者は、文体についてもそれを意識したかも分かりません。しかし、稀代のユーモア作家としての才能を持ちつつ、それを花開かせる方向には進まなかった漱石の文体のパロディであるかどうかはさておき、この文章がまた、実に尾辻克彦=赤瀬川原平的ユーモアに満ちあふれていることは間違いありません。

 このユーモアの方向性について、実は本書の解説文を書いている村松友視がとても上手な表現で説明してくれています。

  「いいかげんな厳格主義」

 そう言えば赤瀬川原平は、「トマソン」という、あれは何とまとめればいいのでしょうか、「都市における前衛芸術概念」とでもいえそうな芸術発見運動をしていました。
 あの運動の持つユーモラスな性格も、いわば、「いいかげんな厳格主義」が生み出した新しい「美意識」であるような気がします。

 当たり前の話でありましょうが、ある分野の「美」について敏感な感覚とは、他の分野に移行しても、「嚢中の錐」のごとくみる間に頭角を現し、人を魅せるものなのですね。


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Last updated  2012.06.24 20:22:31
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