【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年代 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~平成・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~昭和・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~平成・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期の作家
2020.05.06
XML
カテゴリ:昭和期・中間小説
  『コーヒーと恋愛』獅子文六(ちくま文庫)

 作者獅子文六の小説は2冊目です。前回読んだ『てんやわんや』の読書報告は本ブログにあります。少しそれを読み直してみました。

 なるほど、今の私の記憶とほぼ違わないものでした。ただ、『てんやわんや』のストーリーについてはちっとも思い出せず、また、私の評価が(申し訳なくも)わりと低いものであったのが少し不思議に思え、つまり、この度の小説を読んで、私はなかなかのものじゃないかと感じたのでありました。

 そこで、今回の小説が私の中で評価が高いのはなぜかと考えますと、(『てんやわんや』の内容をすでに忘れてしまっているので何とも比較のしようがないのですが)とにかく、文章が滑らかで、とてもゆったりしているという感じを強く持ったことですかね。

 このゆったり具合は何かと考えますに、まずふっと浮かんだのは「修練」、つまりかなりのベテランの作、作家晩年の作だからじゃないかという事です。(作品中に、獅子文六が古希を迎えたとあります。)

 実際このゆったり感は、読んでいてとても心地よく、それがストーリーとも相まって、なるほど、その頃の「新聞小説」が求められていたのはこういう感覚だったのだなと、考えさせるものでした。

 (時代が新聞小説に求めていたものは、現在の新聞小説の置かれている位置とは比較にならないような、大きな期待を込められたものだったというのは、わたくし、最近何かで読んだのですが。)

 そもそも私が本書を読んだのも、なんといいますか、変な言い方ですが、ちょっと小説を読むのに疲れるという感覚があったからですね。
 好きで純文学小説を読んでいるものの、純文学小説が取り上げる、人間とは、自分とは、社会とは、みたいなテーマが、やはりずっと続いていきますと、ただ読むだけではありますが、ちょっとツラい、みたいな感覚であります。

 どこか、カラッと笑ってその後何も残らないという小説はないものかと感じていたんですね。そこで、全国展開古本チェーン店でこの文庫本を買ったのですが、見つけた時、この本自体が割と新しかったもので、おや、こんなのが新しく出ているんだなと思って、家に帰って何となくネットで確認してみたら、数年前にちくま文庫が獅子文六の小説を次々と出し始め、そしてかなり売れているとあるではありませんか。

 大概世の中の動きからとても疎い私なんですが、やはり感じることは同じだったという事でしょうか。
 生きづらい世の中を生きづらいと書く小説(「純文学」がまさにそうですが)は、確かにそれなりにリアリティがあって、場合によっては感動などもします。
 しかし、いつまでたっても本当に世の中が生きづらいままなものだから、そんな小説ばかりが次々と出てきて、それを時代にリアルだとばかり読んでいると、うーん、とっても息苦しい。……。

 そんな風に思って読んだ小説でありました。読んでみると、上記の「カラッと笑ってその後何も残らないという小説」では、ありませんでした。
 いわゆる「ユーモア小説」ですね。そして、さらにいわゆる「上品なユーモア」というやつです。でも、この「上品なユーモア」を求める気持ちの評価は、実は、けっこう微妙であります。

 ひょっとしたら、これは私のバイアスなのかという思いもあるのですが、少なくとも小説における「上品なユーモア」とは、常識的な保守性というような感じがします。
 新しいもの、ラディカルなもの、先鋭的なものには「上品なユーモア」は、そぐわない。でも純文学を含めて芸術には、何かラディカルな新しいものが不可欠でありましょう。

 しかしその一方で、間違いなくそれ(=「上品なユーモア」)が欲しい時がある、と。その思いにも、いわゆる普遍性があるのであります。

 物語は、マスコミ、テレビ界という華やかな世界を舞台にしており、その世界について一般にはよく知られないルールや考え方や言動を報告するというストーリー、そしてそんな世界の住人の、男と女の新風俗と「恋愛」心理の紹介。

 かつて三島由紀夫の軽めの小説を読んだ時に強く思った、「通俗心理学」と「啓蒙性」。
 三島由紀夫の場合は、あまりにこの二つが前面に出すぎていて、時にその「教えてやる」感が鼻につく感じがあったように記憶しますが、本書は一つには時代が大きく現代から隔たっていること、そしてやはり作者の筆致の違いもあって、とても柔らかな(要するに「上品な」)文章になっています。

 起伏のあるストーリーと、そして、いわゆる「悪人」が全く出てこない設定も、ひょっとしたら、読者が朝の出勤前のひと時に読む小説としては、最適な作り方なのかもしれません。
 プロの見事な芸だなと思いました。これは確かに、この時代で新しくシリーズとして出版しても売れるだろうと感じました。

 ……そんなことを考えながら、私は読んでいました。(我ながら理屈っぽい、ヤな性格であります。)
 しかし、出版不況といわれてすでに久しい現代でも、工夫と発想次第でまだまだスマッシュヒットは飛ばせるのだと、まぁ、少々他人事ながら、なんとなく良かったと思うものでありました。


 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.05.06 08:29:52
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・中間小説] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

グレッグ・バーラン… New! シマクマ君さん

2024年6月の読書まと… ばあチャルさん

Comments

aki@ Re:「正調・小川節」の魅力(01/13) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
らいてう忌ヒフミヨ言葉太陽だ@ カオス去る日々の行いコスモスに △で〇(カオス)と□(コスモス)の繋がり…
analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
√6意味知ってると舌安泰@ Re:草枕と三角の世界から文学と数理の美 ≪…『草枕』と『三角の世界』…≫を、≪…「非…

© Rakuten Group, Inc.