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カテゴリ:小田さん&音楽
食費ためて参考書買った仮面浪人の日々 水野良樹さん 朝日新聞 2018年1月9日11時20分 「いきものがかり」の水野良樹さん=東京都渋谷区、長島一浩撮影 午前4時から9時まで、地元・神奈川県の海老名サービスエリアでアルバイト。その後、東京都内の大学に行って授業を受け、夕方から予備校の授業、そして帰宅後は夜まで勉強――。18歳の時、そんな生活を送っていました。 現役で都内の私立大に合格しましたが、第1志望の一橋大は不合格でした。中学の時に野球をしていましたが、不本意な形でやめてしまって、それを引きずっていました。高校で始めたバンド活動でも、大会で落選して「自分は、好きなことも最後まで続けることができないのか」と。 10代なりに「中途半端は嫌だ」と感じ、納得できるまでやってみたい、と思いました。 親は浪人に反対でした。予備校の費用や受験料など受験にかかるお金を計算して、それは自分で払う、と言って説得。大学に通いながら、浪人生活を始めました。 アルバイトの収入で、受講できる予備校の授業は1週間で2コマくらい。親が食費としてくれていた1日数百円をためて、参考書を買って勉強しました。1個100円もしないハンバーガーを食べていると、隣では僕が欲しくてたまらない参考書を抱えてセットメニューを食べる学生がいる。受験できること自体、僕は恵まれているのですが、いろんな立場や環境の人がいるんだということを、浪人生活を通じて感じました。 今でも南新宿駅に行くと、当時のことを思い出します。予備校の帰りによく通っていました。小さな家が密集した向こう側に、明かりがついた高層ビル群が見える。そこから隔てられてベンチに1人座る自分。投げ出したくなったり、思っていたほどできなくて自分はダメなやつだと思ったりもしました。 秋ごろからは自宅近くの公民館で勉強をしていました。集まっている7、8人の浪人生の中に、「いきものがかり」の山下穂尊もいました。高校時代に作った「いきものがかり」を当時はいったん解散していました。山下とは「大学で落ち着いたらもう一度『いきもの』やろう」「テレビ番組に出られるなら何がいい?」ってよく話しました。その時の会話が現実になって、今につながっています。 受験って、勉強ができる環境にいる人たちの中では、実はフェアな競争ではないかと思います。社会に出ると、フェアではないことがたくさんある。「いきものがかり」の曲をたくさんの方に聴いて頂けるのも、もちろん自分たちで努力や工夫もしたけれど、タイミングや運も良かったと思います。そういう意味で受験は、必死に頑張った分だけ、点数で返ってくる。それってフェアだと思う。 僕は高校受験の時も、希望する高校に行けませんでした。でも、もし地元の高校に行っていなければ、「いきものがかり」の結成はなかったかもしれない。高校、大学と受験を経て感じるのは、今が幸せかどうかも大事だけれど、それで人生は決まらないということ。いっぱい悔しがってもいいけれど、絶望はしなくていい。そして、今精いっぱいやることは、無駄じゃない。目の前の成功以上のものへとつながって、将来、返ってくるはずです。(聞き手・円山史) (ネタ元記事はこちら) ◆小田和正さんの「クリスマスの約束」でご常連の水野さん、こういう経歴とは知らなかった。いきものがかりが高校時代からの仲間のバンドと聞いていたので失礼ながらチャラチャラした奴だったんだろうと勝手に思ってました。なかなかホネのある詩を書く人だと感じていたので「ああ、どうりで」とこの記事でわかりました。ゴメンなさい。 わたしも“浪人”を1年経験した。いや、させてもらった。それも親元を離れ東京で予備校に通った。ただしものすごく貧乏な暮らしだった。四畳半一間のベニヤばりのアパート。風呂はない。トイレも洗面所も共同。もちろん冷房はない。夏のクソ暑い日でも喫茶店に入るカネすらもなかった。ほぼ全ての時間を受験勉強と大宰治を読みあさることに費やした。あの苦しい1年があったから今のわたしがあるのだと感じる。 もうじき定年退職を迎えようとしている今でもあの時の自分を忘れていない。みじめでさびしくて哀しかったあの1年。今の自分は髪の毛一本ほども社会の役に立っていないと挫折に苛まれた一人暮らし。水野さんのインタビューでまた心の中にみずみずしくよみがえった。自分の可能性も進むべき道もわからなかった青春の日々。あの日にもどれたら。… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.01.10 21:39:22
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