投影(Projection)と投影性同一視(Projective Identification)2
今日は、昨日に引き続き、投影と投影性同一視についてお話します。まずは、こちらのケースから・・・ケース3:Eさんの場合医師のEさんは、自分の欠点/不十分さなどを隠すために、自分自身を、とても重要な人物で知識も深いシニアースタッフかのように振る舞います。そして、実際に同僚Fは、Eと同じぐらいの能力をもっているにもかかわらず、Eは、Fが、いかに不十分かのように扱います。(Fに対して、医学部学生の一年生のような扱い、そういった学生が勉強するレベルで話してみたりetc..)そして、Fが理解できないことがあると、Eは、ため息を大きくつき、(そんな事もしらないの・・というような)信じられないような目つきでFを見ます。このような事が続いていくうちに、F自身、なんとなく自分が不十分に思え、自信をなくしはじめました。これは、投影性同一視の例です。医師Eは、自分の持つ自己イメージを、同僚Fさんに投影しています。そして、自己イメージにもとずいて、Fさんに対して接し(Fさんがいかにも不十分な人かのように)、Fさん自身が不十分だと感じるように自信をなくさせます。ケース4:Gさんの場合Gさんは、セラピストに対して言葉で攻撃します。毎回のセッションで、セラピストは、無能なために、全く助けにならないと、怒鳴ったり、叫んだりして訴えます。セラピストのやることは全て意味がなく、効果のないものだと叫びます。セラピストが何かを言おうとしたその瞬間、Gさんは、いかにセラピストが無能で能力がないかを言い出します。このような攻撃が続き、セラピストは、自分自身が価値もなく、能力もないような気になってきました。このセラピストとGさんの関係性をよく見てみると、GさんとGさんのお母さんの関係性からきている事がわかりました。Gさんとお母さんの関係性は、逆の役割関係となって、セラピストとの関係で再現されていたのです。実際、Gさんは、お母さんから”おまえは価値がない”と言われ続け、それが、Gさん自身を崩したように感じています。Gさんは、自分の持つ自己イメージをセラピストに投影しています。そして、その投影(能力が低く、無価値というもの)に従って、セラピストに接している為に、”お前は価値がない”と攻撃しているのです。セラピストに能力がないのではなくて、Gさん自身が自分自身に感じている事ですが、結果的に、Gさんのお母さんが、Gさんにしてきたように、セラピストを攻撃し、セラピストは、自分が能力もなく、価値も低いと感じてしまったものです。ケース5:Hさんの場合Hさんは、極度に不安になる女性と付き合っています。彼は、いつも危機感の中で生活をしています。しかし、そのわりに、自分は何でも解決できるといったように、とても落ち着いているように見えます。そして、彼女の事を、あまりにも不安が高すぎると文句をいいます。しかし、彼がどのように自分の状況を彼女に伝えているのかをみると、実際の彼のおかれた状況よりも、はるかに危険で大変だというような悲惨な状況、詳細を話しています。このようにHさんは、彼女の不安をあおり、その上、Hさん自身、彼女は不安が高いのだとみて、そういう彼女といるのは嫌だと思い、離れようとします。しかし・・矛盾しているように見えますが、Hさんは、彼女との接触がなくなると不安が高くなり、結果、彼女と一日でも連絡をとらないことには、耐えることができません。これは、投影性同一視のケースです。Hさんは、彼女に自分自身の不安を投影しています。そして、微妙なかたちで、Hさんは、彼女が自分の持つ不安通りに反応するように仕向けています。(実際の状況よりも、悲惨だと話したりして、彼女の不安を掻立てようとする試み)この場合、Hさんの中で、この不安は誰のものなのか、(自分なのか?彼女なのか)がハッキリとしていません。この曖昧なバウンドリー、不確かさ、叉は完全に彼女へ投影しきれていないというのが、彼女との離れられない(連絡せずにはいられない)という部分に表れています。(ケース:American Journal of psychiaty 148:2, February 1991より)昨日からの例にあげたケースをまとめてみてみると、投影というのは、相手に自分の持つ自己イメージを信じさせる為に、自己イメージのモトを作った関係性(両親など)の対象をセラピストに演じさせ、その関係性を再現する事によって、自己イメージを確認します。(昨日の例では、多くのセラピストが、クライアントにたいして公平に接していたのに、そうではなかったような気になったりetc..その結果、クライアント自身は、やっぱり、自分は公平に扱われない人間なんだと思ったり、やっぱり自分はダメな人だと思い、自己イメージを維持しています)そして、投影性同一視は、自己イメージを直接相手になげかけて、それに従って相手に接します(相手が自己イメージ通りになるようにしむける)。なので、時に、その自己イメージのモトを作った関係性の両親などの対象役割を、結果的に、自分が演じることになり相手に接っします。この投影が完全に出来ていない場合、最後のケースのように、さらに混乱したような、矛盾する行動になります。(彼は自分自身の不安を彼女の中に見て、彼女が不安になるような事を言い、彼女に自分自身を演じさせます。そして、その後、彼女は不安が高すぎると文句をいい、その彼女の中に見た自分の不安を避ける為に、彼女から離れようと試みます。<ここまでは投影性同一視>しかし、そのわりには、彼自身は、彼女から離れられることができません。距離が近くなったり、遠くなったりと極端になります)人は、多かれ少なかれ、様々な防衛機制を使い、自分自身を守って生活をしています。そして、この防衛の仕方というのは、人によって様々で、それは、小さい時の家族との関係性、様々な体験などから来るものです。防衛自体が悪いことではありませんが、時に、防衛が、自分の幸せを拒んでいる場合もあったりします。なので、セラピーでは、どのような防衛機制を、どんな場面で使っているのかというのは、大きな次なるステップのカギとなります。