280146 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

「ジョーのこころの縹渺(ひょうびょう)」

「ジョーのこころの縹渺(ひょうびょう)」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

コメント新着

ハートブルー@ Re:近況報告(09/28) こんにちは。 お久しぶりです。 俺の近況…
背番号のないエース0829@ Re:近況報告(09/28) ご無沙汰しております。私のこと覚えてま…
あなたに逢えて良った@ Re:近況報告(09/28) !!!NEW━゚+.(@(●´Å`●)@).+゚.━YEAR!!! …
ふうママ1130@ Re:近況報告(09/28) 明けましておめでとうございます。 今年も…
ふうママ1130@ Re:近況報告(09/28) メリークリスマス。 ご無沙汰しています。…
mkd5569@ Re:近況報告(09/28) こんばんは おひさしぶりのご挨拶 11月…
kopanda06@ Re:近況報告(09/28) お元気そうで、安心しました。 またブログ…
いくぞう13号@ Re:近況報告(09/28) ジョーさん ご家族皆様がお元気なのは良…
shikoha@ Re:近況報告(09/28) こんばんは。 お元気で何よりです^^ 夏の…
たんぽぽ7891@ Re:近況報告(09/28) 元気そうで何よりです。 お子様も大きく…

お気に入りブログ

ベネロープ バラ New! 宮じいさんさん

障害者施設待機者調… New! elsa.さん

行きたかったな~ New! ふうママ1130さん

^-^◆ 思わず にっと… New! 和活喜さん

浜名湖ガーデンパー… New! 蘭ちゃん1026さん

バレずに電磁波や超… 保険の異端児・オサメさん

【高見彰七 リスト… kopanda06さん

用水路~K川散策日記… ★黒鯛ちゃんさん

ごぶさたしています。 マコ5447さん

今日はチャロ尽くしで 吉祥天1093さん

プロフィール

ジョー0114

ジョー0114

フリーページ

ニューストピックス

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2009年04月07日
XML
カテゴリ:今日の一言

今日は少し、こ難しい話になります。



こ難しい話は...、という方はスルーしてくださいませ。


あるブログを読むと、ある条件を満たした人間の健常な脳でしか理解できない真理は本物ではないのです、とあった。



だから、感謝は真理であるはずがないと。



私は宗教家でも、集団でお布施を徴収しようとしているわけでも何でもありません。



心理は真理であるかと問えば、答えは否であるということが判る程度の一児の父です。



そんな私でも判ることがあります。



それは、争いで解決することは何一つないということです。




他者とも、自分自身とも争い続けて、ロジカルに頭の整理をしていくにつれて、わかってくるもの。



なぜ、自分と違う考えの人が存在してはいけないと思う必要があるのでしょうか。


それは違う考えを認めることで、自分自身にとって都合が悪いということなのではないのでしょうか。




もちろん、私にとって都合が悪いから、あなたは間違っています、悪い人です、などと言われて、はいそうですか、私が悪うございました、などと思える人たちはいらっしゃらないと思います。



だからこそ、話し合う必要があるのです。




野生の動物であれば、食うか食われるかの殺し合いになるのでしょうが、それも、言葉などで理論的に話し合うことが出来ないから、そういう手段に出ているだけ、ということなのではないのでしょうか。




ただ、人間である私たちはそういった行為に出ることなしに解決しようとしている知的生命体です。



その為に、いろいろなことを学んでいるわけです。



 

せっかく、話し合う手段である言葉というものが存在しているのに、それを使わない手はないと私は考えております。


人と話し合う上で、どちらが正しいか正しくないかを争ったところで、終わりはないばかりか、行き着く先は殺戮になることは明白だと思われます。



だからこそ、自分と違う価値観や考え方を持っている方と遭遇した際にはまず、相手との相異を認めたうえで議論に入らないと議論にすらならないのではないのでしょうか。



議論をするうえでの目的は、白黒つけることではなく、相手の考えを認め、自分の考えを認めることから始まり、お互いをわかりあった上で、できること、できないことを明確にしていくことなのだと思われます。



違いを認めるという行為は、相手の存在を認めることに繋がっていることなのだと思います。



結果がどうであれ、他者に存在を認めてもらうことでしか、自分の存在すら確認することができない私たち。



自分自身で自分の存在が実感として確認できることに対して、感謝を表さない人はいるのでしょうか。





感謝が真理であるかどうか、真理とはいったいなんなのかについては、正直なところ私はさほど興味を持っておりませんが、感謝なしに共存や、和平、身近なものでいえば家族の営みや育児などといった行為は立行かなくなるのではないのでしょうか。



 

あって当たり前のものは何一つないということ。



もし、真理がこの世にあるのだとすれば、それが真理ではないのかと...。




ランキングに参加しています。

 

 

 

 

ジョーのこころの縹渺(ひょうびょう)

 

今日もよろしくお願いいたします。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年04月08日 02時55分06秒
コメント(22) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X