偉大なるアボリジニ・アーティスト
来年のことを言うと鬼が笑いそうですが、オーストラリアからすごい展覧会がやってきます。オーストラリア大使館で、その発表がありました。彼女の名はエミリー・ウングワレー。EMILY KNGWARREYE風変わりなスペルは、アボリジニのファミリー・ネームです。彼女は、1910年ごろに生まれ、その生涯をオーストラリア中央部のシンプソン砂漠の端にあるアルハルクラの土地の「ユートピア」というアボリジニのキャンプで過ごしました。1988年から、突然キャンバスに絵筆で描き始めました。もう80になろうかという歳でした。それから1996年に亡くなるまでの8年間という短い期間に3,000点を超える作品を残したのです。最初のキャンバス作品「エミューの女」は、人々に大きな衝撃を与え、1990~91年にはもう、シドニー、メルボルン、ブリスベーンで個展が開催され、1997年にはヴェネツィア・ビエンナーレにオーストラリア代表として出品され、1998年にはオーストラリア国内で回顧展が巡回しました。国外で、彼女の大規模な展覧会が開催されるのは今回が初めて。それが日本で実現するとは光栄です!誰かが質問しました。「描くようになったきっかけが何かあったんですか?」オーストラリア国立博物館のシニア・キュレーターのマーゴ・オニール女史が説明するには、アボリジニの人々の自立支援プログラムの一環として、まず、1977年ごろ、「ユートピア」の人たちにろうけつ染めの講習をしました。でも、エミリーは、ろうけつ染めにはあまり向いていなかったそうです。「プロセスどおり、きちんとやるのがめんどくさいですからね」次に、1988年ごろ、教育プログラムの担当者は「ユートピア」にキャンバス100枚と絵筆や絵の具を置いていきました。3週間後、様子を見に行ったら、80枚ほど描かれていた中に、「これは!!!!」と目を見張るものが1枚!あった。それが、エミリーの作品だったのです。キャンバスに絵筆で描くのをエミリーはとても気に入ったようでした。それからというもの、毎日毎日、描きまくりました。地面に置いたキャンバスに、両手に筆を持って、こう腕を振り回す!感じで。点点点点・・・・線―線―線―線― そして色また色また色。「西欧近代美術が展開した末にたどり着いた抽象表現主義に比するような芸術世界」とリリースに書いてあります。確かに、言われなければ現代アートの抽象絵画かと思うかもしれません。「西洋美術とは全く無縁な環境から生み出されたとは信じられないような」なんて言い方。それって西洋の側から見た考えですよね?最初に見たショートビデオが鮮烈でした。これが現代の映像とは。赤茶けた大地。地べたにすわって暮らす素朴なアボリジニの人々。4万年も5万年も昔からこの大地でそうやってきたように。あらわな胸に一面のボディペインティングをしてあげているのがエミリー。キャンバスに描くようになる前の人生の大半はそうやって歌い、踊りながら、砂の上や人の身体に模様を施して過ごしていたと言います。巫女さんか、ヒーラーのような存在だったのでしょうか。いったん、絵筆を持ったら、その制作枚数たるや!8年間に3,000作ですから、毎日1作以上描いていた計算になります。高さ3メートル近い大きな作品でも2日ぐらいで仕上げていたそうです。ふるさとのアルハルクラの土地をたたえて、ヤムイモの根、種、芽からインスピレーションを得て、内から何かに衝き動かされるように、ササッササササッと絵筆を走らせる。大地のエネルギーが、彼女の身体を通って迸り出ているのかのようです。彼女本人には、それがとにかく大いなる喜びだったのです。評価とか、展覧会とか、名誉ある賞とか、そんなのぜんぜん関係ないみたいでした。人はなぜ絵を描くのか?その根源を見せてくれるような存在です。不思議なアボリジニの歌をくちずさむオババさま。深い皺が刻まれた超然たる横顔。畏敬の念に打たれます。作品の実物を見たい! 120点来るそうです。その前に立つとどんなふうに感じることでしょう!!「エミリー・ウングワレー展 ― アボリジニが生んだ天才画家」国立国際美術館(大阪)にて2008年2月26日~4月13日国立新美術館 (東京)にて2008年5月28日~7月28日※大阪が先なのは、今回の展覧会の実現が、国際美術館の館長さんの情熱に負うところが大きかったからのようです。