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カテゴリ:追原騒動記
鹿野山の虎の絵馬です。このお寺は、寅のお寺で、12年に一度、寅年にだけ秘仏のご本尊のご開帳があるのです。 ご本尊はアクル王が神?仏?になった「ぐんだり王」です。お会いできて感激しました。伝説のアクル王はどんなだったかと、よそさまのブログをお借りしてご紹介。 『この寺には日本武尊伝説があります。 日本武尊が東征の際、先住民の豪族・阿久留王と鹿野山山麓で激突し、敗れたアクル王は八つ裂きにされます。 王の血で三日三晩にわたって赤く染まった川が血染川(現・染川)。それが腐って海に注いだ地が血臭浦(チグサウラ=現・千種海岸)だそうです。 鹿野山の別名は「鬼泪山・キナダヤマ」。大和から見れば房総の抵抗勢力は「鬼」扱いです。 鬼が降参して泣いて謝ったので鬼泪山。降伏者を斬殺したのが日本武尊です。
鹿野山東峰には日本武尊をご祭神とする白鳥神社、中峰に神野寺、西峰に春日神社があります。日本武尊の死後、白鳥が鹿野山上空を舞ったという伝説もあります。 内房の神野寺の場合を見ると、東国の鉄資源強奪が日本武尊東征軍の大きな目的だったことがはっきりわ かります。』 ☆と書かれていました。戦ったのはアクル王だけじゃなくて、住民たちへの殺戮もあって、血染めの川になったのだと思います。 私は、その地の住民を守ったアクル王への感謝の気持ちから毎月の法要をしてくれてると思っていましたが、「うしろめたさ」というのもなるほどです。とにかく、周辺の意外な場所さえも新日鉄グループに買い漁られてしまった房総の山々です。 白土三平の「鬼泪」は、内房の老名人漁師が、いつも鬼泪の峰を目指して海から帰ってくるのに、海が荒れたその日は、鬼泪山が山砂(石)採取のために爆破されてなくなり、方向を誤って遭難死する話です。 殺されたアクル王に比べて、故郷の山さえも売ってしまう現在って、どうよ!という感じです。
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最終更新日
2014.03.24 14:33:00
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