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カテゴリ:お散歩首都圏
当家の殿が、さる会合に出席するため水戸市植物公園にご出張。それにお供して、ひとつ梅見などいたしましょう、と思い立ちました。 中山道大宮宿に程近い某村から、早かご(現代では自動車と申します)に乗りまして、常盤道を走ること半刻(1時間)ばかり。早くも水戸藩御領内に入りました。 偕楽園入り口近くでかごを降ろしてもらい、吹きすさぶ北風のなかを歩いてまいります。 前方の高台に、偕楽園が望めるのでございますが、やはり、悪い予感が。梅が満開ともなれば、遠目にも、お庭のそこここがピンク色に染まっているはずでございます。ところが、どうも、目立つのは木々の緑色のみ。 どうやら暖冬の影響で、すでに満開の時期は過ぎてしまったようでございます。 散りかけた梅が、水戸の梅大使のみなさまの艶やかなお姿を、逆に引き立てることになってしまいました。 向こうにみえる風雅な建物は「好文亭」と申します。中国での梅の別名「好文木」から取られた名前でございます。学問を象徴するお名前ですね。 この偕楽園、水戸家9代藩主徳川斉昭公が作られました。斉昭公は、ちょうどペリー来航前後、開国か攘夷かで国論が割れ幕府が対応に苦慮するなか、積極的に意見を述べ、いろいろな方面に影響を与えました。ともすれば強硬派とみなされ、ライバルも多かった方でございます。 しかし、御領内では、飢饉対策など領民の暮らしの安定にも力を注がれました。 「偕楽園」という名前も、「皆ともに楽しむ」という意味で、日を決めて、領民にもお庭を開放していたそうでございます。これは、江戸時代としては、大変珍しいことと申せましょう。 その精神は今にも受け継がれ、このお庭、入園無料でございます。どなたでも、気軽に楽しむことができます。 ただし、好文亭のみ、大人おひとり190円をお支払いくださいませ。この、好文亭3階からの眺めは格別。また、殿様、奥方さまが使われた御部屋の様子なども興味深いものがございます。190円以上の価値はあると思われますので、是非、ご覧になることをお勧めいたします。 高台にある偕楽園のお庭から、眼下に千波湖を望みます。 晴れ晴れとする景色でございます。 斉昭公は、西洋の技術も積極的に研究し取り入れました。実用、ということを重んじる方だったように思います。梅を好まれたのも、花を楽しむだけでなく、実が食用になるからということです。また、冬のうちから寒さに耐えて咲く梅の花の凛とした佇まいが、ご自身の生き方に重なるのかもしれません。 水戸家では、2代光圀公(いまでも、諸国を漫遊していらっしゃるアノお方です)も梅を好まれました。「梅里」という号もお持ちです。 質実剛健、高潔な水戸家の家風に、まことに相応しいのが梅、と申せましょうか。 お庭のつくりも、他の大名家のお庭、たとえば偕楽園と並んで日本三名園と呼ばれる、岡山後楽園、金沢兼六園、と比べ、野趣に富んでいる印象がございます。 あまり作りこまず、自然のままを生かした簡素なお庭。これがまた、大変水戸家らしいと存じます。 現在、綺麗な梅の花はもちろん、梅を使った美味しいお菓子も人気でございます。全国各地からの見物客で賑わう偕楽園を見れば、斉昭公も、さぞ、喜ばれていることでございましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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