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カテゴリ:子育て
昨日の買い物のあとの、読書感想文です。
息子が机に向かっている間に買ったものを片付けたり、他の家事をしたり…したのに、これまた一向に部屋から出てこない。 そうこうしているうちに夫が帰宅し、一旦切り上げなきゃいけないな…とノートを持ってこさせたら… 「本の概要(あらすじ)をまず書くんだよ」と私が言ったので、本文を丸写ししていました。(;´д`) 前の学年のときに使いかけだった、まだ10ページも使っていなかったようなノートが8割埋まっていました。 正直、時間と労力とノートと鉛筆と消しゴムと電気の無駄。 どう書いていいかわからなければ、聞けばいいのに… いや、こういう経験も一度は必要なのかもしれません。 「例えば…」と説明すると、どうしてもそれをそのまま採用してしまうんじゃないかという気がして嫌なのですが、前回も伝えた 誰が出て来て 何がしたいのか なぜしたいのか そのために何をしたか 最終的にはどうなったか という項目に当てはめて説明しました。 感想も、「主人公のおじいちゃんてことは、君のおじいちゃん(父方母方共に)ってことだよ」など、具体的に説明して、ようやく感情移入ができたようです。 時間がまた、普段なら夕食を食べている時間にまで圧してしまったので、続きはまた翌日に。 読書感想文書くのに何時間、何日かかるんだろうか… でもやっぱり、私が考える感想というものに誘導しているような感じが拭えません。 私の感想が一般的だったとして…それを押しつけることになっていないか? 逆に一般的でなかったとしたら、押しつけることで誤った価値観を植えつけていないか? 息子が持つかもしれない、新しい視点での感想を潰すことにならないか? …子育てって責任重大だなぁと、つくづく感じるわけです。 極端な話、りんごを指差して「これはぶどう。黒くて、苦いよ」って教え込めば、そのように認識するようになってしまうわけで。 周囲が訂正してくれたり、本人が何となく「あれ、おかしい」と気づける内容ならよいのですが、そうではないことだってきっと多くある。 歴史認識にしろ、価値観にしろ、「りんごは赤い、甘い」のように明確でないことは山ほどある中で、正しいことやふさわしいことを教え、そうでないものに対してどうふるまうべきかを伝える、重要な役目を親は担っているのだと思うと、まだまだ勉強が足りないように感じてしまいます。 そういえば、昼間に「平均と標準」の説明をしました。 平均は計算のしかたも含めてです。 私と息子と娘だと、だいたい息子が平均の身長になるようです。 標準は…辞書で調べてもうまく説明できなかったので、「一般的にどうか、ということ。違う人もいるけれど間違いではない、でもだいたいはみんながすること」のように説明しました。 …これも、多数決の原理とか言い出したらまたおかしな話になってしまうのですが。 まぁ、夏に半袖を着るとか、冬にジャンパーを着るとか、そんな感じです。 風邪を引いていたり、冷凍庫の中に入るとかだったら夏でも長袖を着るし、冬に半袖半ズボンの少年とかいるけど、別に間違いではない。 でもだいたいの人はこうだよね?というよ うな。 元々身長に対する体重について聞きたかったのがわかっていたので、この身長ならこれくらいの体重だと大丈夫ですよ、というのが標準体重、平均は痩せぎみの人を集めて出せば軽くなるし、ぽっちゃりの人を集めて出せば重くなる、と伝えました。 聞かれたら可能な限り説明するようにしています。 少しでも頭の片隅に残ってくれればいいな、という気持ちで。 知的好奇心がすごいので、知識はものすごくあるのですが、人の気持ちに考えが及ばないところがあり… だから感想文が苦手なんでしょうね。 私は逆に共感性羞恥がひどいので、余計に理解できないところがあり、なかなか難しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.08 22:32:28
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