テーマ:ひとり言・・?(17564)
カテゴリ:最近のことの日記
しかし、そこから驚くことが起こる。ホスピス的な所だから、積極的な治療はしない。痛み止め的なことはしているせいか、脳の転移のせいか、時々意識は混濁してしまうが、それも前の病院の時よりも減った。病気の進行が、「明日にも亡くなるかも」と言われた前の病院とは全然違い、落ち着いたムードの中でゆっくりと入院生活が送れたのである。会話ができることも増えたし、食事ものどからとれるようになった。
首のことがあってベッドから動かせないこともあるし、すでに排泄のための管もついているから、自宅に戻るということは不可能だったのだが、不幸中の幸いで、本人はいつも「昨日入院したばかり」と思っていたので、何カ月も入院しているというショックを受けないで済んでいた。本当はここのホスピス病棟は「本人への告知」が条件になっているのに、それがうやむやになったまま父はごまかしていたようである。文章をよく読まずに勝手に判断する癖があるのだが、たまにはそういうことで得することもあるものだ。 で、その父なのだが、Sの世話で早く帰るのは週2回だけで他の日はほとんど病室に一日中、行っていた。実際は看護師さんたちが世話をしてくれる施設だから家族もそんなに付き添わなくてもいいのだが、「食事の介助を身内でする」と決めた(勝手に)らしく、それを実行することで周りの家族の負担は増えたが、病院では「実にすばらしい夫だ」ということになっていた。実はその父、母の入院前は一日テレビばかり見てぼんやりすることが多くなり、Sのお迎えこそしてくれていたが、母が料理などしているうちにどんなにSがいたずらしても気がつかないし、「もうテレビの見すぎか何かで認知症の症状が出てきてピンチ」と周りが思うような状態だったのである。ただ、病院で外に出て「人と話す」ことや「ほめられる」ことが最高のリハビリだったのか、母は少しずつ弱っていったが、父は少しずつ会話が通じるようになるという不思議なプチ奇跡が起こったのである。まあ本人には言えないのだが(笑) 母は入院当初から昔のことを思い出しては悪態をつくようなこともあり、特に父はある意味ずっと尽くしているけど「お父さんはいつも『後でやる』と言うだけでまったく何の役にも立ちゃあしない」などとひどく言われることもあるのだが、脳にも転移してくると昔のことを断片的に覚えていても最近のことはわからないようで、本来折り合いが悪くて家ではあまりよく思われていなかった私については特に何も言われてなかったらしい。 「Sの世話は今日誰がしてるの?」と今日入院したと思っている母が妻や周りの親戚に聞いて、「わらG君だよ」と答えると、どうも誰だか思い出せないまま「でもそういう意味ではいいむこだったよ」と言ったらしいので、これ以上悪く言われなくてよかったとほっと胸をなでおろしたものである。 母が一番会いたい、孫のSは、私が連れて行かないとお見舞いに行けないので、私はSとセットで現れることで好印象だったのかも。本人が比較的ご機嫌な時しか私は見なかったが、交代で付いていた父や妻や妹や叔母(母の妹)はいい時も悪い時も見て、いろんな思いがあったであろう。が、半年間続いた入院生活で、叔母(母の姉)の時のようなやりたらなさや別れの挨拶ができなかった感が残らずに、ゆっくりと別れを覚悟できたり、家事の移行も妻の食事作りや私の掃除範囲拡大など移行期間としてゆっくりシフトしていけたのも、ホスピスで母が長くがんばってくれたおかげである。以前からの苦手意識があり私はどうしても他の人みたいに母の手を取ったりすることができないままだったが、Sの手を差し伸べて、でもいたずらしないように上から持っていたのでS越しにいつも触れて「和解した?」としておこう。 最期は眠っている時間が長くなり、「この2~3日がヤマです」と医者が言って、身内がみんな集まって過ごし、Sが来ると急に眼を開けて少し声をかけ、みんなが帰って、夜中に妻と妹だけになっている時に、5月10日、静かに息を引き取った。家に帰る途中で連絡を受けて病院に戻った父はなんとか間に合った。Sは家で食事中に連絡を受けたが、「死」というものをわかるように立ち会わせたかったが、もう丸一日病院で過ごした後だったので連れて行くのはあきらめて、家に帰ってくるのを待つことにした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013/01/01 10:11:35 PM
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