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カテゴリ:文芸評論
人が人らしく死ねる村
上下分冊。 当初の3人の女性は、どうしようもなく軽く描かれている。 政情不安定な地に、バカンスと買い物をしに来る時点で、既に軽過ぎる。 しかし、3人は軽いばかりではなかった。 その後に直面する場面場面での、3人の行動は頼もしい。 この村の文化は、日本とは天地程異なるが、生きるためとは言え、うまく順応しようとする。 3人のうち、一見最も思慮深い様で、実はその逆だと感じるのが医者の祝子だ。 村の一人の老人の臨終に際して、医療行為を強要して、人々の顰蹙を買うという下りがある。 この村では、病院でのいくつかのケースとは異なり、人が人らしく死ねる。 医療に対する、祝子の様な上辺だけの理想は、時に有害だ。 物語は、生きて日本に帰れるのか?というスリリングな綱渡りの連続だが、 3人は価値観の相違の狭間で悩み、順応しようとする。 このあたりに、読み応えを感じる。 著者の名著「弥勒」は非常に重いテーマを扱っているが、本書も根底では似た部分がある。 しかし、比べて本書は雰囲気が軽く、ずっしりとした重みはあまり感じない。 それはそれで、気軽に読めるという利点もある。 下巻での結末はある程度想像出来るが、 下巻でも、展開にスリルがあり、印象的な結びとなっている。 また、各章に付記された小タイトルは、なかなか魅力がある。 テーマは重いが「楽しめる」作品だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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サブタイトルの方に惹かれてしまいました。
数年前、母がドラック・ロックで嚥下不良になった時、担当医に気管切開の実施の了解を迫られ、娘達はNOと答えました。そしたら、すぐに退院を命じられたのです。近年の日本の医療がどこか歪んでいるように思えてならない、経験年数35年目のナースです。 (2007年05月08日 20時11分11秒)
nonmamaさん、おおきにおおきにご苦労さん。
辛い思いをされましたね。 私は人の終末は、自然であるべきだと考えています。 癌末期や老衰などの場合、呼吸管理は酸素吸入と喀痰吸引程度が限度だと思います。 挿管は緊急事態の一時的処置、気管切開は、慢性の難病に対して行うものでしょう。 救命を目的とする場合は然るべきです。 しかし、それ以外の場合、ベッド周囲が機械だらけにんまる事を、ご本人も家族も、望みません。 病院の方針である、気管切開を拒否した場合、かつては退院を命じたりしました。 大学病院や高度先端病院では、現在でもそうですが、最近の一般病院は、かたい事は言わないですね。 最近は、終末医療に対する認識が、急速に変化している様にも感じます。 望ましい方向に、です。 ところで、私の医師経験は、約22年です。 (2007年05月08日 20時37分59秒) |