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捨ててこそ青春だ
14章 ソウルでの入棺体験 友人コ・ヨンタク君の著書「ジョージ・ハリソン/リバプールからガンジスまで」(韓国オープンハウス社2011年発行)より引用。 2001年11月29日(木)午後1時30分、アメリカ・ロスアンジェルスでビートルズの最年少でありギタリストであったジョージ・ハリソンが世を去った。享年58歳。死因は脳まで転移した肺がんであった。ジョージは晩年がんで苦しんだ。しかし彼は生前非常に精神的な生き方をし、死も人生の一部であることをよくしっていた。その深い信仰のおかげでジョージは死に対して恐れることなく目を閉じることができた。死が目前にせまった最期の瞬間ジョージは前もって準備したインドの服に着替え「ヴェーダ」のマントラ“ハレークリシュナ・マントラ”を唱えながら超然と死をむかえた。彼のそばには妻のオリビア、息子ダニー・ハリソン、シタールの師匠であったラビ・シャンカールなど家族や親しい人たちが皆そろってジョージの臨終を見守った。 左からジョージ、シャーマスンダラ、ムクンダ・ゴースワミー クリシュナの信者で30年以上親交があり最も近い関係にあったムクンダ・ゴースワミー、シャーマスンダラ・ダースは愛する友が神のもとへ無事にかえれるように静かに数珠を繰って“ハレークリシュナ・マントラ”を唱え祈った。ついにジョージが息を引き取るとISKCON寺院のブラーフマナ(僧侶)でもあるムクンダ・ゴースワミーとシャーマスンダラ・ダースの二人は敬虔に儀式を執りおこなった。あらかじめ準備しておいたガンジス河の神聖な水をジョージの頭に数滴ふりかけたあとトラシー(聖木)の葉を彼の唇と胸においた。それから9時間後の夜10時30分ジョージの遺体は火葬された。入棺直前ダンボール紙製の素朴な棺にはバラの花びらがまかれて室内はインドの寺院で多く使うサンダルウッド(白檀)の芳香に満ちていた。この時儀式を主導したムクンダ・ゴースワミーとシャーマスンダラ・ダースはインドの教典『バガヴァッド・ギーター』を取り出して魂の不滅性に関する節を朗読した。 (中略) ジョージが書いた歌「Art of Dying」の歌詞のようにだれもがこの物質界を離れなければならない瞬間が迫り、どんな方法でもこの場所にずっと滞まることはできない。しかし本当の私たちの存在は決して消滅したり無くなったりしない。これと同じでジョージの存在と魂は今も生きて私たちのそばに息づいている。 (引用終了) ジョージの最期の描写からもわかるように、私たちはやがて全員死をむかえる。ジョージは周到に死を準備していたが、私たちはまだ先のことだとかんがえむきあおうとしない。執着がある人にとって死はこわいものである。だから不要なものは捨てて潔く死をむかえられるようにしておかないといけない。まだ社会にも出ていない君たちに死をみつめろというのは見当はずれの提案とおもわれるかもしれない。しかし私たちは生まれた瞬間から死にはじめている。毎瞬間死にちかづいている。死ぬことを意識する日々の心の積みかさねが死にあたり重要になる。だから納得のいく人生をあゆまないといけない。意味のある人生にしないといけない。人生の成功者にならないといけない。 ソウルの江南にある良才(ヤンジェ)という地下鉄の駅からバス(21番、4430番)に乗って10分ほどいった場所にアルンダオンサルム(美しい人生)修練院という仏教寺院がある。そこで入棺体験、つまり棺桶(かんおけ)にはいってみるという体験ができる。NHKで紹介されたのをみて私は一度体験してみたかった。死ぬとき人はなにをおもうのか。実感できるものならしてみたい。そんな好奇心から予約をいれた。参加費は一人6万5千ウオン(約4,500円)ほどである。まず教室にはいり僧侶の講義をきく。先般、日本の文部科学省の職員が入棺体験の取材にきたと寺院の方が教えてくれた。 棺桶にはいって感じられるものは、1、衝撃・否定 2、憤怒 3、妥協 4、絶望・涙 5、受容である。 人生は期限つき。生まれた順番に死ぬわけでもない。人生は氷の上で自転車をこいでいるように危うい。今晩死ぬとしたら。人生はみじかい。大切なことをまずしろ。人生に重要なことは多い。すべてを捨てて心をひらけ。荷が軽いほうが楽。人生でいちばん悲しいことは私たちが死ぬことじゃない。重要なのは愛と奉仕。入棺を通じて高次元の体験をする。人生の優先順位がかわる。95%は道をまよう。5%だけが正しい道にいく。これらがメモにのこっていた講義の内容である。断片的だがおおすじはわかってもらえるはずである。 このあと最初のシートをわたされ以下の質問に答える。よければ今日死ぬことと仮定してかいてみてほしい。 1・ 私の人生で大切であったこと3つ 2・ 私の人生の3大ニュース 3・ 私の人生をふりかえって感謝すること 4・ 私の人生でいちばん自慢できること 5・ 私の人生でいちばん失望したこと 6・ 私の人生で得た教訓 7・ 私の人生でいちばんうれしかったこと 8・ あと人生が6ヶ月しか残っていなかったらかならずしたいこと(行きたい所、 会いたい人) 9・ あなたの人生に影響をあたえた人はだれですか?目に浮かぶすべての人の名前 このあと映画のなかで人が死ぬシーンがあるものを何本かみせられた。そしていよいよ麻でできた死装束を着る。それから少量の粗末な最期の食事をさせてもらい死の準備にはいる。いよいよ人生との決別である。 別のシートがわたされそこには以下の項目が空欄になっている。自分の死亡年齢、死亡原因、残した家族数、知り合いは自分のことをどんな人間だったというとおもうか、自分の死を最もかなしむ人はだれか、人生に残した業績はなにか、戒名はなににするか。順番に空欄をうめ具体的に死ぬことの実感を高めていく。 そして次の項目にしたがい最期の手紙をかく。これもよければかいてみてほしい。 1・死ぬ瞬間、私のまえにいてほしいと思い浮かぶ人は 2・死に際していちばん気にかかることは 3・生きているとき私に最大の苦痛をあたえた人は 4・その人を理解し許せますか 5・私が生前大きな傷をあたえた人は 6・その人にいいたい言葉は 7・今私が家族や友達や子ども達に残したいこと、伝えたい言葉は 8・人生を整理し自分にいいたいことは 9・人生を整理し自分が信じる神に申し上げたい言葉は 10・遺言 これで講義は終了である。あとは棺桶にはいってパニックになりけがをしても自己責任で対応し異議申し立ていたしませんという誓約書にサインをする。そこで仮面をかぶった僧侶が部屋にはいってくる。私たちはおのおの手にろうそくをもたされ仮面僧を先頭に部屋から出て行列で別室にむかう。外は日も落ち暗くろうそくの灯りにたよりながら棺桶のおいてある葬儀場へとあるく。死の行列である。ほんとうに死ににいくのかと錯覚してしまった。葬儀場にはいり自分の棺桶の前にたたされる。そして意を決し棺桶にはいった。意外とせまい。両腕がきゅうくつである。昨年亡くなった叔父のことをおもい出す。すると係の人がきて両手、両足をひもでくくった。そして蓋を閉め、四隅を木槌で打ちこみ固定した。もう出られない。本当にはいってしまった。なかは木のにおいがする。外はしんとして音ひとつきこえない。入棺時すすり泣く参加者の声がしたが今は静寂である。旅行でもってきたスーツケースはどうなるのだろう。明日の予定は結局できないのか。息子は一人でやっていけるのだろうか。もう少し話をしておきたかった。日本はどうなるのか、若者は苦しむのか。母親は泣き崩れるにちがいない。小さいころあんなことがあった、大学でこんなこともした。就職し、結婚し、子供が生まれ、脱サラした。「ヴェーダ」に出あい晩年は人生がかわった。『バガヴァッド・ギーター』をよんで人生の目的をしり光明がさした。今死と対峙してまったく恐怖がない。死後どうなるかあらかたシュミレーションできるからである。窮屈な箱のなかでジョージがしたように“ハレークリシュナ・マントラ”を唱えた。心は平静であった。本番もこうありたい。 20分後係の人がきて蓋を開けまた俗界へともどされた。そこはソウルのまんなかであった。 吉本興業の漫才師“桃乱”のネタに死んだとき棺桶になにをいれてもらいたいかというのがあったので、棺桶のなかでそれもかんがえたが死ぬにあたって唯一いれてもらいたいとおもったのは『バガヴァッド・ギーター』一冊である。 「私は一切をむさぼり食う“死”」【バガヴァッド・ギーター第10章34節】 「私は“時”、諸々の世界の大破壊者である」【バガヴァッド・ギーター第11章32節】 「ついにゆく道とはかねて知りながら、昨日今日とは思わざりしを」【在原業平】 「昨年の3・11の大震災と原発事故。そのとき私の頭の中に浮かんだのは『二度生れ』という言葉でした。“自分をもう一度見つめ直して、生れ変わりたい。社会もいままでとは違う在り方を目指そう”と」【姜 尚中】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 30, 2012 11:59:25 PM
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