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2024.04.07
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カテゴリ:教育・子育て
​ 著者は、自らも発達障害当事者であるフリーライターの姫野桂さん。
 「第1章 発達障害とはどのようなものか」で、その概略を確認した後、
 「第2章 高学歴発達障害が抱える不条理」では、
 10人の当事者が、それぞれの実体験を語っていきます。

 その10人は、早稲田大学の政治経済学部(2名)、法学部、国際教養学部、
 慶應義塾大学の文学部、経済学部、青山学院大学の文学部、上智大学の理工学部、
 大阪大学の外国語学部、東京大学の法学部を卒業した人たちですが、
 その歩んできた道筋や現状は実に様々で、個々に格段の違いがありました。

職場では、学歴によるハードル上昇で苦しんだり、周囲の同級生との違いに落ち込んだり、
発達障害に気付いて障害者手帳を入手、障害者雇用の求人に応募する人も。
そこに至るまでの道のりは、想像を絶するほど厳しいものがあったことでしょう。
しかも、その結果、辿り着いたところでは、次のような現実が待ち受けているのです。

  早稲田卒で清掃の仕事をやっているなんて当然現場の人は知らないので、
  軽度知的障害だと思われているようです。
  子どもに対するような態度をとられたり、
  本来なら自分できる仕事まで横取りされてしまって、地味に傷ついています。
  配慮は求めているんですけれど、でもその配慮が苦痛になっているんです。
  健常者として25年生きてきて早稲田を卒業したプライドもあるので……(p.035)

「第3章 発達障害当事者の大学准教授が見た大学」では、京都府立大学の横道誠准教授が、
認知行動療法や自助グループ、現在の大学のあり方について、
「第4章 アイデンティティと現代社会と発達障害」では、精神科医の熊代亨さんが、
高学歴ゆえにアイデンティティが負い目に変わったり、
自己像に沿った支援を受けることが難しかったりする現状について語っています。

また、「第5章 当事者に対する支援の取り組み」では、
筑波大学ヒューマンエンパワメント推進局の佐々木銀河さんが、合理的配慮について、
株式会社Kaien代表取締役の鈴木慶太さんが、発達障害支援サービスについて、
それぞれの立場から、それぞれの取り組みについて語っています。

   ***

本著の中で、私が特に考えさせられたのは、
まず、第3章の「無意識のうちの差別」における次の部分。

  また、最近では、発達障害は「ニューロ・ダイバシティ」(脳の多様性)であるという
  捉え方も広まりつつある。
  ニューロ・ダイバシティとは、発達障害を「障害」として捉えるのではなく、
  「神経系の多様なあり方」として捉えて尊重していく考え方である。
  そして、定型発達の人でも多かれ少なかれ凸凹がある以上、
  ニューロ・ダイバシティという概念はあらゆる人々を包含するものだ。
  全ての人の多様性が尊重される社会をめざすキーワードと言えるだろう。(p.133)

私は「ダイバシティ」と聞いて、先日読んだ『正欲』のことがすぐさま思い浮かんだのですが、
あの作品を「ニューロ・ダイバシティ」という語をキーワードに据えて読むならば、
誰もが「なるほど」と、スッキリした気分になれるような気がしました。
続いて、第4章の「コモディティ化した現代の生きづらさ」における次の部分。 

  人間のコモディティ化(一般化)が進んで、
  誰もが誰とでもコミュニケーションできるあり方を要請されるようになりました。
  同時に、社会通念や習慣のレベルでも、横並びからのはみだしは良くない、
  あるいはイレギュラーなことには容赦しない方向に年来傾いてきたのが
  先進国社会の基調だと思うんですよね。
  社会において少しはみ出してしまう人は、
  かつて昭和時代の頃は大きな問題にならなかったかもしれない。
  けれど、この令和時代においては、
  そのままでは会社や学校にいてはいけない問題のある人として
  クローズアップされるようになってしまいました(p.152)

私は、この部分を読んで「不適切にもほどがある!」をすぐに思い浮かべました。
「横並びからのはみだしは良くない」「イレギュラーなことには容赦しない」令和の時代に、
「寛容」さを求めることは、許されないことなのでしょうか。
最後に、同じく第4章の「産業構造と発達障害」における次の部分。
  
  ただ、産業構造が変わって、例えばサービス業などの第三次産業の割合が増えれば、
  ADHDやASDの人が農業や漁業といった職に就ける確率は減っていきますよね。
  そういう人たちでもデスクワークをしなければならなくなる。
  第三次産業が台頭していくにつれて人間同士のコミュニケーションをする必要が出てきて、
  どんな職場においてもうまく溶け込まなければならないといった要請が
  労働者の側に立ち上がってきます。
  そうなると、発達障害の方々はこの新しい状況についていけなくなりやすい。
  こうしてASDの人は自分にぴったりの
  リピート作業を奪われていった経緯があるのではないでしょうか。(p.158)

昨今の状況では、「職業差別」と糾弾されてしまいそうな危うさも感じてしまいますが、
この主張が出来ないような世の中になってしまう方が、よほど不健全かと。
熊代さんの『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』は、
近々読んでみたいと思っています。





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Last updated  2024.05.06 10:29:36
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