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2009.06.15
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カテゴリ:ひとり言
アホ!→ボケ!→カス!→死ね!

冒頭からオドロオドロシイ言葉が並んでいますが、
別に僕がイカれてしまったわけではありません。^^;
冒頭の言葉は、関西のスポーツ指導者における
「四段活用」なのだそうです。

まぁ、大阪で生まれ育った僕にすれば
「なるほどなぁ」と思う部分ではあるのですが、
全国規模で捉えれば「えぇ~!?」と思われる方も
多いのかも知れません。

具体的な活用方法としては・・・
「お前アホか!」
   下矢印
「ボケっ!そんなこともでけへんのか!」
   下矢印
「辞めてまえ!カスっ!!」
   下矢印
「死ね!もう来んでえぇ!!」

とまぁ、こんな感じでしょうか。

アホとかボケはともかく^^;
「カス」という人格を否定する言葉の前に
「辞めてしまえ」という言葉が来ていることを
考えれば、「カスだから辞めてしまえ」という
意味ではなく「辞めてしまったらカスやぞ」
という言外の意味があるのかなぁ、とも思えます。

これは「死ね」の用法の部分においても同じで、
「死ねば来れるわけがないのに・・・」という
ツッコミが可能な点を考慮すれば^^;
「死ね」という命令形で使われている言葉が
「来るな」ではなく「来なくていい」という
命令よりも弱い言葉の「修飾語」として使用されている点が
本来の意味である「死ね」という命令形からは
異なった使用法で使われていることになるのだと思います。

と、ウソかホントか分からないよな言語解説を
していますが^^; まぁ使っている方にしてみれば、
たぶん当たらからずも遠からずなのではないかと
思えます。

実は今日(15日)ラグビーの平尾誠二氏の
「コーチングについて」と題された講演を
聴きに行ってきた中でのお話しなのですが、
表現方法はともかく、関西のスポーツ指導者の多くは、
前述のように「突き放し」というスタイルの
指導方法を行っているということでした。

この「突き放し」という指導方法が
以前、恐らくは20~30年前までは有効であったのが、
今現在においては、あまり機能していないそうで、
その結果が多くの落伍者の発生という結果に
なっているのだそうです。

スポーツにおいての「落伍者」というのは、
個人にとっては非常に大きな問題であるとは
思いますが、それ自体は社会や世界に与える影響は、
たかが知れていると思います。

ですが、それを社会全体に拡げた場合、
それはかなりの影響を及ぼす結果になると思います。

冒頭の「四段活用」というのは、僕は決して
スポーツ指導の現場だけの「使用例」では
ないと思います。
似たような表現、そして「突き放し」という
指導方法は、多くの現場、学校だけでなく
会社などにおいても使用されていると思います。

では、それが悪いのか?と言えば、
僕は決して悪いとは一概に言えないと
思います。
教える側が経験してきた指導方法を
そのまま実行に移せば、それが「突き放し」という
指導方法になってしまっているだけで、
その方法自体が「悪」なのではないと思います。

それでは逆に、その指導方法によって
落伍してしまう方が悪いのか?と言えば
当然そのような結論が導き出されるわけも無く、
「(指導方法が)合わなかった」という一言に
集約されるのだと思います。

指導方法が社会情勢によって変化しなければ
ならないのは、直近の社会情勢によって
指導される側が醸成されることから考えれば
当然なのだと思います。

それを「指導方法が悪い」、或いは逆に
「教えられる方が悪い」と水掛け論をしているのが
現在の「教育論」なのではないでしょうか?

例えば、日教組的な「ゆとり教育」にしても、
逆に右側の方々が唱える「修身論」にしても、
その「論」事態に善悪は無いと思います。

ですが、その「論」が現在に合っているのかと問えば、
決してそのようなことはないと思いますし、
増してや「戦前の教育が失われた結果、現在の社会が
ぬるま湯になった」などという論は、時代錯誤も
甚だしいもののように思います。

所詮、優秀な人材など多くは存在しないわけで、
それは教える側も同様だと思います。

「先生=優秀」と捉える方がどうかしているわけで、
「先生=優秀」という公式が成り立つのであれば、
「職業」として教師を選択した者は、すべて優秀で
なければならないということになってしまいます。

自分の子供を教えに行かすのですから、
その現場にいる教師や講師が優秀であって欲しいという
願望は分からなくもありませんが、
だからといってそれが果たされないからといって
先生を責めたり、或いは「指導方法に問題がある」と
いう考え方もまた、短絡的なのではないかと
思えます。







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Last updated  2009.06.16 09:12:22
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