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2004.09.11
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カテゴリ:散文・つれづれ
だれにでも ひとりやふたり
どうしても 許せない人 嫌いな人
好きになれない人がいると思う。







そのことで 自分を責め
悩んでいるひとがいた。





深い愛ゆえに
深い思いゆえに






周囲と自分の心の葛藤に 疲れてしまっている人。。。










私からは 何も言う言葉が見つからなかったけれど
なにか どうしても伝えたくて

ひろさちや氏の 
「まんだらのこころ」という著書の一節を送った。







少しでも
あのひとのココロの重荷を 軽くできたなら。。。







(以下 「まんだらのこここ」より抜粋)





*********

「まんだら」のこころ---というのは、伝統的な仏教の言葉で言えば
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつゆうぶっしょう)」
(生きとし生けるものすべてが仏性を有している)ということです。
誰もが仏性を持っているから、みんながほとけさまなのです。
生きとし生けるもの、すべてがほとけである。
いやもっといえば、この宇宙の森羅万象--生物・無生物のすべてを含めて--
がほとけさまです。それが「まんだら」のこころです。

しかし、私たちには煩悩があります。煩悩に覆われているから、
仏性が輝いてこないのです。
また、縁によって、私たちは「断善の状態」になることもあります。
縁とは偶然ですが、わたしたちは偶然にそういう断善の状態、
いわゆる悪人になってしまうのです。
でも それらはあくまで表面だけの現象です。
現象的には善人・悪人の差別はありますが、
本質においてはすべてが仏性を有する存在です。


  -- 中略--

常不軽菩薩というのは 『法華経』の「常不軽菩薩品」に登場する菩薩です。
じつはこの菩薩は、釈迦の過去世における姿なのです。

この常不軽菩薩は、一切衆生がやがてみな成仏することを信じていました。
それで出会った人すべてを未来のほとけとして拝んだのです。
「あなたはほとけになられるお方であります」
といって拝みます。
ところが拝まれたほうは いきなり変な奴がやってきて、
『あなたの成仏は約束されています』という。
気持ち悪いったらありゃしない。
そこでこの常不軽菩薩を殴るのですね。
あるいは石を投げつけたりします。
まあ石を投げられてはたまりませんから、常不軽菩薩は逃げます。
逃げて石の届かぬ所に来れば、そこでその人を拝むのです。

これが礼拝行です。
誠にかんたんな実践ですが、でもこれを簡単に実践できるとは限りません。

どうしても腹の立つ奴がいます。そいつの顔を見るのも嫌なやつがいます。
あまり無理をしないでいいのです。
自分には嫌いな人なんていない・・・と聖人君子面をする必要はありません。

どうも日本人は儒教の考えが強くって、
好きな人、嫌いな人と依怙贔屓するのは悪いことのように思ってしまいます。
しかし仏教は儒教と違って、人間のありのままを認めているのです。
それはお釈迦様が
-- 愛別離苦・怨憎会苦 (あいべつりく・おんぞうえく)--
を同時に説いておられることでわかるはずです。
すなわち、人生にあるさまざまな苦のひとつとして、
愛別離苦、愛する人と別離する苦しみを挙げられた直後に、
怨憎会苦、恨むものに会わねばならぬ苦しみを言っておられるのです。
怨み憎むものがいるんだ、というのがお釈迦様の発言ですから
私たちは堂々と怨み憎めばいいのだと思います。

ついでにいっておきますが、キリスト教だって
『汝の敵を愛せ!』と教えています。
敵を愛せというのだから、明らかに敵がいるのです。
それなのに「人類皆兄弟、敵なんていないんだ」と言っている人がいますが
そういう考え方は宗教ではありません。
宗教というものはお上品ぶっていてわかるものではありません。
ロマンチックな夢と宗教を混同してもらっては困ります。
敵がいる!怨み憎むやつがいる!殺してやりたいほど憎いやつがいる!
その泥どろとした現実を無視してしまっては、宗教の価値はなくなってしまいます。

では どうすればいいのでしょうか?
『法華経』は、われわれも常不軽菩薩を見習って礼拝行をせよ!と命じていますが、
私たちには怨み憎むやつがいる、その現実で礼拝行できるのでしょうか?

できるのです。
私はできると思っています。
というのは、すべてのひとをほとけとして拝むことは、
すべての人を好きになることと同じではありません。
好きにならなくてもいい、嫌いでもいいから拝めばいいのです。

『汝の敵を愛せ!』というのも同じことだと思います。
キリスト教に関してはいささか自信がありませんが、
『愛せ!』ということは「好きになれ!」とは違っていると思います。
敵は敵であって、そんなの好きになれっこありません。
これを「好きになれ!」と解せば、私たちのほとんどがそれをできなくなります。
敵は嫌いでいいのです。
極端に言えば、憎んでいてもいい。
しかし嫌いなまま、憎んだままで愛することができると思います。

仏教の礼拝行も同じです。
私たちには敵がいます。怨み憎むものがいます。
その怨み憎むものを、怨み憎みながら、しかもほとけさまとして拝むのです。
それが礼拝行だと思います。
憎いやつを好きになる必要はありません。
好きになれるのなら なればいいのですが 
好きになれないのなら そのまま拝めばいいのです。
そう考えると 仏教の礼拝行は誰にでも出来ます。
誰にでもできるからこそ、礼拝行が「まんだら仏教」の根本の『行』なのです。

********




 届いたかな。 


 あのひとに。


















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最終更新日  2005.02.13 14:40:51
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