元楽天の安楽智大投手が代理人を通じて、メキシカンリーグのとあるチ-ムと契約したこと、そして昨年発覚したパワハラ事件について自身の言葉で記した文書を発表した、という記事が出ていました。その記事はこちらです。
元楽天の安楽「後輩をいじめようと思ってしたことは一度もありません」
ランキングで上位に入っていることから、今でも気にしている野球ファンが数多くいるということでしょう。
念を押しておきますが、ここからは個人的な感想であり、誰かを非難するとかいう類のものではないことをハッキリ記しておきます。
パワハラ事件について言及していますが、内容から謝罪しているようです。
なんか歯に挟まったようなものの言い方ですが、そういう風に思ってしまうのですからしょうがありません。はっきり言えば、こんな謝罪ならしないほうが良かったかも、とも思っています。
もっとも引っかかるのは次の部分です。
「私は、当該選手を含め後輩のことが大好きで、決して後輩選手をいじめようと思ってしたことは一度もありませんでした。私なりのコミュニケーションのつもりでやっていたことでしたが、受け取る側の気持ちを十分に考えられておらず、私の行動が誤っていたこと、私の認識が甘かったことを痛感しております」
彼なりのコミュニケーションであんなことやられちゃ、相手は敵わないでしょう。
「後輩が大好きで」「後輩選手をいじめようと思ってしたことは一度もありません」とありますが、これは彼の「弁解」「言い訳」を言っている訳です。
その前に謝罪めいたことを書いていましたが、ここで「弁解」や「言い訳」してしまっては、謝罪したこと自体無になってしまう感じがしました。
謝罪した後に弁解が入ると、謝罪したことが『本当に済まないことをしたと思っているのだろうか?』という思いを相手に抱かさせることもあるかと思います。
彼は被害者である選手に謝罪したと思いますが、どんな言葉で謝罪したのでしょうか?
まさか、記事のような内容で謝罪したとしたら、被害者はどのように受け取ったでしょうか?
仮に私が被害者の一人であったなら、「君のことを嫌っていたわけではない、むしろ大好きだったんだ」「君をいじめようと思ってしたことではないんだよ」なんて言われても、何の謝罪になっていないばかりか、先に書いたように彼の「言い訳」を聞いているように感じたと思います。内容もちょっと気持ち悪いし、かなり独りよがりなことを言っているな、とも感じます。
じゃあどう謝ればよかったんだ、と訊かれても結局はその人個人の人となりが出てしまうものなのですね。つまり謝罪はその人なりの個性や誠実さが出てくるものなのでしょう。
これが彼の謝罪方法なのだと思います。謝ってはいるようなのに、何となく謝罪にはなっていないという気がしました。個人的な感想ですが。
謝罪するのは本当に簡単ではない、凄く難しいことだと改めて考えさせられました。
2つのブログランキングに参加しています。
↓ポチッと押していただけたら嬉しいですありがとうございます
にほんブログ村
にほんブログ村