松山、道後温泉へ
急に思い立って、8日早朝からドライブしながら、松山へと向かった。天気予報では、春一番のような暴風雨が吹き荒れるかもしれないと言っていたが、宿の予約も取っていたので、兎に角、早く松山へ到着すべく走り始めた。高速道路、明石海峡大橋は速度50km規制であったが、大した風も吹かず順調に走り、鳴門大橋を通過した10時頃、道路掲示板に、瀬戸大橋が閉鎖された旨の表示が出た。(明石海峡大橋も12時頃から17時頃迄閉鎖されたらしい。少しの時間差で、通過できたことになる。)松山までの高速道路は、順調で神戸から3時間半位で松山に到着した。最初に訪れたのは、萬翠荘(ばんすいそう)旧松山藩主の子孫 久松定謨伯爵が別邸として建てたもの坂の上の雲ミュージアムの2階から撮影引き続き、坂の上の雲ミュージアムを訪れた。 展示品は撮影禁止なので、省略。 司馬遼太郎や正岡子規の非凡なる才能の一部を実感。バルチック艦隊を迎え撃った日本海軍の松山出身の名士俳句や絵画や文筆で才能を見せた子規外は風が強いので、館内の喫茶室でコーヒーとタルトで休憩石垣の綺麗なお城です。 ロープウエーかリフトで簡単に登れます。(笑)写真では分かりにくいのですが、風が強く、天守閣の一部の窓は閉鎖されていました。こんな天気でも、観光客は20組以上居られました。白梅も咲いていました。お城の階段は急なので、お年寄りにはきつくなってきます。歴代城主の甲冑、刀剣類が展示されており、実物大の長さ、重さの刀剣も触れることが出来た。(案外軽いと感じたのは、私だけかな?? wifeは重かったと言っていたが・・・)ロープウエー乗り場に掲示されていた大きな墨絵エスカレータ―脇の墨絵 近過ぎて、全体が写せない・・・苦笑道後温泉本館坊ちゃん電車の始発駅 スターバックスコーヒーがここにもありました。少し早めに宿に到着、庭を散策して、チェックイン冬は少し寂れた感じになりますね。小さいけどバランスの良い庭ですまだ正月らしい飾りつけです。このお宿皇室関係の人がお泊りになっていました。道後温泉の泉質は、アルカリ単純泉で、肌に優しいお湯です。 私は、夕夜早朝朝と4回入りましたが、肌が少しつるつるになったかもしれません。(笑)この温泉の歴史は古く大国主尊の時代に遡りますが、これだけ長く湯が途切れないのには感心します。翌日、早朝には近くの伊佐爾波神社を参拝 譽田別尊 (ほんだわけのみこと) (応神天皇)他を祭っている。珍しい八幡作りの神社です時宗を作った一遍上人の誕生寺と言われている。 正式名称は、豊国山遍照院宝厳寺本堂一遍上人堂重要文化財であった本来の一遍上人像は、火災で焼失してしまった。本堂の阿弥陀三尊朝食と朝風呂を済ませた後は、来島海峡を渡り、大三島の大山祇神社へ大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)は、20数年前にしまなみ海道が出来、車で来られるようになったので、参拝者が非常に多くなったようです。(50数年前には、宮浦港に船が着き、林のような木々に囲まれた参道を神社まで歩く、本当に島全体が神々しい感じがしたけど、今は、コンクリート、アスファルトで当時の風情は望めません。)私は、今回で3回目の参拝(50年以上前、10年前、そして今回)村上水軍、三島水軍の守り神社でもあり、海関係者や戦争の守り神、伊藤博文他政治家、皇室関係にもゆかりがあると言います。 大楠 (呼知お手植えの楠 樹齢2600年)大山祇神社 島にあることで、少し世俗離れし、まだ神々しい?せいか最近は参拝者も多いようです。特に、今年の初詣では、駐車場は満車で、渋滞もできたそうです。今回は、平日でもあり、せいぜい20組程度の参拝者で、又、宝物館に行く人は私達以外に1組のみでした。あまり宣伝もしていないせいかもしれませんが、昔から奉納された刀剣甲冑類が多く残されており、国内にある国宝、重要文化財の80%?がここに保存されているといいます。まあ、興味のある人にとっては、見応えがあると思います。特に、私は、新しい宝物館紫陽殿が建築される前、国宝館のみがあった53年前頃(17歳位の時)に参拝し、国宝館の左奥隅に置かれた2つの大きな陶器の土瓶の中に、無造作に多くの錆びだらけの薙刀、巨大な刀剣等が入れられており、荷札が付けられ、そこに弁慶奉納の薙刀、義経奉納の刀等と書かれていた。当時は、甲冑はケースに入っていたものの、刀剣の殆どは、そのような状態だったので、まさか、本物だとは信用していなかったのですが・・・・現在の弁慶奉納の薙刀は、重要文化財になり、磨き直されて立派に展示されているが、深く錆が入っていたところは、やはり掘れたように錆の跡が見えた。歴史は、ここ50年間の近年でも大きく変わってくる。以上