|
カテゴリ:ニューオーリンズ
ドクター・ジョンの訃報から2日が経った。間が空いたのは、言葉を失ったというか、何をどう書いたらいいか呆然としてしまったからだ。何度も見ているドクターのライヴだけど、詳細な記録をつけていたわけではないので、いつどこでという記憶が最早曖昧だ。この日記の過去を辿れば、いくつかの記録は見つかるだろうけど・・・
とにかく、ニューオーリンズの音楽といえば、アラン・トゥーサンもそうだけど、まさにドクター・ジョンであった。勿論、長い歴史の中では70年代にソロとしてはデビューしたドクターは新参の部類だったかも知れないけれど、少なくとも僕にとってニューオーリンズ音楽の入口となったのは、何よりもドクターの「ガンボ」であり、そういう人は、かなり多いだろう。あの、不思議に跳ねるリズムに妙に明るい曲調。それまでに聞いたことがなかったような音楽が、ドクターの独特なダミ声で歌われ強烈な印象を残した。まさしく、ニューオーリンズ音楽を知った原点はドクターなのであった。 ニューオーリンズという特定の地域・ジャンルに止まらず、70年代からのロックを中心とした音楽シーンでは、ドクターは常にどこかに存在していた。ありとあらゆるミュージシャンのセッションやバックにも参加し、ドクターというのは、いて当たり前の人だった。来日公演も数えきれない位行っていて、この数年のブランクも、いずれはまた戻ってくるのではないかと勝手に思えていた。でも、体調不良は現実の話だったのだ。享年77歳は、トゥーサンが没したのと同じ歳。一方で、アーロン・ネヴィルは一つ年上で、アート・ネヴィルに至っては80歳超え。でも、ドクターの方が先に逝ってしまった。 勿論、「ガンボ」は文句なしの代表作だし、続編とも言える「ゴーイン・バック・トゥ・ニューオーリンズ」も素晴らしい。でも、単にルーツを再現するだけの人ではなく、時折、挟まれるスタンダード集でも独自の解釈・演奏を聴かせたし、近年に至るまでファンクを追求するような意欲的な作品も発表していた。その人脈も同世代や同ジャンルの人にとどまらず幅広いものだった。それ故に音楽面でも停滞することなく、挑戦を続けていた。しかも全てを自己流に染め上げてしまう強い個性は、最後まで異彩を放ち続けた。ミュージシャンズ・ミュージシャン的レベルを超えて偉大な存在であったのだ。 ブードゥー教の司祭を演じていた人だけど、本当のブードゥー教徒というわけではなかったようだ。実はアイリッシュの血が入っているなんて、今回初めて知った。てっきり、ブラックとかクリオールの血が混じっているのではと思っていた。その意味では、まさにニューオーリンズという土地で生まれ育ったならではの人。やはり、彼の地ならではの盛大なセカンドラインで送られたという映像がネットで見ることが出来た。ニューオーリンズを愛し愛された一生であった。心より、R.I.P お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年06月09日 22時21分12秒
コメント(0) | コメントを書く
[ニューオーリンズ] カテゴリの最新記事
|
|