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朝方、寝床の中で目覚めた時。 あのまっとうき平安の中にいた。 そこは完全だった。 そこで世界の完璧性を感じていた。 その一瞬だけ、何回かビジョンで見ている未来の自分だったと言ってもよい。 私は例えようも無い一体感を感じていた。 もはや言葉で表現できないと思った。 思考や概念で説明できることでは無いのだ。 それでも何とか、言葉や文字にしなければ、何も伝わらないこの世界の矛盾。 「ああ、これなんだ」と思った。 ただ道端を足で踏みしめて歩いているだけでも。 その一歩の中にでさえ。 潜むものの顕現した状態。 人は記憶喪失の神を演じているだけの存在なのだ。 いつかは・・・いつかは・・・例えるならば、今の様なまるで時々仮接続のような状態では無く。 ある日、ガッと入ってきて至ってしまってつながりきり。 日常ですら常時接続で、生きることになるだろう。 でも、それは外見上、自然で、普通で、あるがままで、あるというだけのことだろう。 ああ、そんな難しい話しでは無いのだ。 スピリチャルな何かを歌っているものでさえ、分離の幻影に基づいた恐怖をてこに世界観を展開し、実際に平安を得られることは無い泥沼のゲームを提示しているものもざらにあるのだから。 究極の話しをすれば、決まりきった幸せへの手順なんか存在しない。 「存在」そのものであることが「答え」。 ただ「ある」ということ。 それを忘れているふりをしているだけ。 思い出した状態では、あれこれはいらない。 分離の幻影が無い。 したがって恐怖も無い。 ただ「それ」だけがあるという状態。 人であることも慈しみながら・・・。 愛と優しさに包まれながら・・・。 生きている。 本当は伝えたいことは、ただ一つ。 ただ一つ・・・だけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年05月16日 10時34分35秒
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