「当然ながら、この砦にある食糧には限りがある。
多国籍の多くの負傷兵が参集して大所帯の当砦では、いかに充実した食料庫を保有しているとはいえ、いずれ底をつくのは時間の問題であろう。
かと言って、近隣の農民たちから農作物を買い取るにしても、民が供出できるものには限りがある。
戦乱が長引いて疲弊している民に、これ以上、いらぬ負担をかけたくはない。
となれば、この砦内にあるだけでは賄(まかな)いきれぬ食糧をいかに調達するかを考えていかねばならぬ」
他方、かみしめるように語るトゥパク・アマルの言葉など、まるで聞こえていないかのような素振りで、アレッチェは相手の手から冷水のグラスを毟り取った。
そして、自ら僅かに身を起こし、それを一気に喉に流し込む。
それから、またドサリと寝台上に体を投げだした。
そんなアレッチェの手元から、まるで看護師のような器用な手つきで、トゥパク・アマルが空(から)のグラスを受け取る。
「もっと飲むかね?」
彼の問いかけに、アレッチェは外方(そっぽ)を向いたまま、鬱陶しそうに片手を振った。
その様子に、空のグラスを机上に戻すと、トゥパク・アマル自身も己のグラスに唇を触れる。
やがて少しの静寂の後、トゥパク・アマルが、再び語りはじめた。
「さて、話の続きだが、食糧確保のためには、いくつかの方法がある。
幸い、この砦は、正面は大海原に、裏手は広大な荒野に面している。
ゆえに、海に漁に出ることもできるし、荒野を開拓すれば農地に変えることもできよう。
実は、今、砦の麓に広大な農園を造成中なのだ」
「――農園だと?
このような時に、そんな時間も労力もかかる悠長なことを始めているのか?」
不意に、アレッチェが、こちらに首を振り向けた。
その黒眼が鋭利な閃光を放ち、ありありと不審の色を強めて、トゥパク・アマルを斜め下から藪睨みする。
そのような相手の反応を沈着な面持ちで受け留めながら、トゥパク・アマルが、ゆっくり顎を引いた。
「さよう。
この砦の周囲に広がる荒野を耕し、長期間の療養が必要な負傷兵たちのために、食糧を自給自足できるようにしたいのだ。
しかも、それを迅速さをもっておこなわねばならぬ。
もちろん、それらを成し遂げるのは容易ではなかろうが、かといって、必ずしも不可能ではなかろう。
この砦の屋根の下にいる者の多くは、健康体の者も負傷者たちも、かつては戦場を馳せていた屈強な戦士たち。
そのような者たちが大勢で力を合わせれば、最速で未開拓地を開墾することも不可能ではないはずだ。
とはいえ、そう簡単なことでもないことも、また事実。
ゆえに、その耕作を手助けしてくれる協力者が、なるべく多く必要なのだ。
もちろん、インカ兵が主力となって開墾を進めているのだが、いかんせん人手が足りぬ。
それらをインカ兵と力を合わせておこなっても良いと言ってくれるスペイン兵がいてくれたなら、わたしとしても、最善の誠意をもって遇したいと考えている。
それゆえ、回復した貴軍のスペイン兵たちに、当砦に残って協力してくれるよう声掛けし、その志願者を募っているところなのだ。
当然ながら、強制ではないし、いつでも自由に立ち去ってかまわない。
――と、回復した、そなたの軍の兵たちを一堂に集めて、今朝がた、ちょうどその話をしたところなのだよ。
名乗りを上げる者が現れてくれるかは分からないが、そなたには報告しておかねばならぬと思っていたのだ。
もし、ここに残ることを決断してくれるスペイン兵が現れてくれたなら、その者たちに不利益の生ずることの無きよう、わたしからそなたに事情をよく説明しておくと請け合ってしまったのでな。
またも事後報告になってしまい、かたじけないのだが」
そこまで伝えてから、トゥパク・アマルは相手の反応を推し量るようにして、言葉を切った。
再び、長く重い沈黙が流れる。
やがて、その重苦しい沈黙を破ったのは、アレッチェの方だった。
「わざわざ回復した我が軍の兵を引きとめてまで、時宜(じぎ)に反した開墾に加担させる――。
そのようなことをする、おまえの本当の目的は何だ?」
不正を暴き立てるかのようなその口調は、研ぎたての刃物の如く鋭く、非常に威圧的である。
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≪トゥパク・アマル≫(インカ軍)
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
≪ホセ・アントニオ・アレッチェ≫(スペイン軍)
植民地ペルーの行政を監督するためにスペインから派遣されたエリート高官(全権植民地巡察官)で、植民地支配における多大な権力を有する。
ペルー副王領の反乱軍討伐隊の総指揮官として、反乱鎮圧の総責任者をつとめる。
有能だが、プライドが高く、偏見の強い冷酷無比な人物。
名実共に、トゥパク・アマルの宿敵である。
トゥパク・アマルに暴行を加えていた際の発火によって大火傷を負い、その現場である砦を占拠したインカ軍の元で治療を受けている。
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