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そしてこれが「パン屋の娘」(La Fornarina)の画である。 この画がいつ頃描かれたものか、この画のモデルは誰なのか。あれこれ憶測は飛び交い仮説は立てられたが、真相はわからない。というのも、ラファエロが急死した1520年(37歳)前後には、この画の存在は全く言及されていないのだ。 もっとも早い時期にこの画のことに触れているのは、1595年で、ローマの副尚書院長から神聖ローマ皇帝、ルドルフ2世に宛てた手紙で、「ラファエルによる女性の上半身ヌード」と記されている。1597年には、より正確な記述がある、「黒い瞳と黒髪のヌード、左腕にRaphael Vrbinasと文字の入った腕輪をしている」と。 1618年、先に触れたラファエロのパトロン、アゴスティーノ・キージの甥の息子、ファビオ・キージ(Fabio Chigi、後の教皇、アレクサンデル7世)が、この女性こそがアゴスティーノの別荘に連れて来られたラファエロの愛人だ、とした。 まだこの時は、この画はLa Fornarinaとは呼ばれていない。初めて文書の中でそう呼ばれるのは、18世紀後半だ。「パン屋の娘」との恋愛、という伝説がいつのまにか作られたのだろう。 19世紀になると、この伝説は結晶化して、絵画やオペラの主題になっている。1813年に、フランスの新古典主義の画家、オーギュスト・ドミニク・アングルは「ラファエロとフォルナリーナ」という作品を描いた。ラファエロとフォルナリーナがアトリエで抱きあっている、ラファエロが後ろ髪を惹かれるように眺めているのが製作中のフォルナリーナの画だ。1895年には、ロシアの音楽家、アレンスキーが「ラファエロ」というオペラを作曲し、フォルナリーナとの恋を舞台に乗せた。(物語はKryukovという人によって書かれたようだ。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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