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テーマ:ひとりごと(15086)
カテゴリ:教育
「間違っていないなら見直す必要はない。」 現役の高校教師をしている彼は、やや強い調子でそういった。 文科省の、学習指導要領見直しのことだ。 「最低基準」といい「弾力的運用」を言いながら実は事細かく締め付けてくるのはお定まりのやり方。 現場にはさまざまな矛盾が集中しているらしい。 私が、このかんの未履修問題について話題にするときに、「偽装履修」という言葉を使ったのにも、いつもは温厚な彼が少し苛立ちを見せているように思った。 『現場の誰一人として「このこと」で偉くなった人はいない。 履修のごまかしで実績を上げたから管理職になった人はいない。 給料が上がるわけでもない。学校の「見てくれ」というけど今時いつまでも同じ学校にいる教員もいない。 実績を上げた誰もが進学校から進学校に転勤するわけでもない。』 彼の在籍するのは県立高校。 そうなのだ。入試で一流校に現役合格何人が生徒数に直結する(つまりは収入に)私立校ではない。 時々変わる「学習指導要領」は、迷走し現場はそれに振り回される。 現行の教育基本法の禁じるものに、教育の「不当な支配」がある。 そのひとつが「学習指導要領」ではないか?という論点が昔はあった。 それが、今は話題にならない。 今回の未履修問題も、もっぱら学校現場に、学習指導要領に反する「不正」があったと大々的に報じられた。 不正。その根拠となる学習指導要領の正当性を不問のままにどんどん「不正」の糾弾は進んでゆく。 聞きかじりの中から私が理解できたことは・・・・・ 学校現場で行われたことは、文科省のゆとり教育では受験に対応できない現実を、現場で「修正した」ということのようだ。 『国大協は入試センター試験で6教科7科目の実施を主張。 そこに理科2科目はあっても地歴2科目はなかった(公民は別にあり)。 センター試験は普通なら標準単位では終わらない教科書を,終わらせた者が確実に有利な形態の試験。 その直前まで入試科目を削って受験生を確保しようとした大学が多くあった中での話。 国大協と文科省はどちらも譲らなかった。』 そういういきさつのことを私は何も知らなかった。 今になって「現実に合わない」と修正を言ってきているという文科省は、今の学校現場の実態を知らなかったなんてわけが無いと思う。 それなのに何故今こんなに大騒ぎにするのか。 そう考えれば何かあるとしか思えない。 今週末にもと噂される教育基本法改悪案強行採決。 これに向けた巨大なプロジェクトなのではないだろうか。 目をくらまされてはいけない! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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