またバス車内での出来事である。
先日、例によって最寄り駅へ向かうバスに揺られていると、小学生高学年の男子が4人乗り込んできた。入り口の近くに横座りの優先席があって、そこだけが空席であった。彼らはそこに陣取った。多少のためらいはあったのだろう、一人が「この席はいけないんじゃないの?」と独り言のように言った。それでも彼らそのまま座り続けている。
しばらくして、まるで絵に描いたように4人のお婆さんたちが乗ってきた。おばさんたちではない、お婆さんたちである。そして子供達が座っている優先席の前に立った。優先席の小学生たちを眺めて、もちろん座りたそうな気配である。
私はすぐさま
「きみたちは立ちなさい!」
とちょっと大きな声で言った。
小学生たちは『あっ、やっぱりな』という様子で悪びれず、すぐに立って席を譲った。まだ素直な年頃なのだ。
ところがお婆さんの一人が、
「いいのよ、いいのよ。座っていて」
と小学生に言ったのである。
このババアは、こういう言葉がいかに迷惑であるか考えてみたことはないのだろう。「立て」と言った私の立場はともかく(もちろんムカついたが)、あんたのそのひと言で連れのお婆さん達も座りづらくなるんだよ。なによりもあんたが一番座りたそうだったではないか。結局、座ったくせに……。さらに、小学生たちが『優先席に座っていてもいいの?』という気持ちに、一瞬でもなったかもしれない。
こういうおためごかしの態度が私は許せない。自分だけ良い子になって、結果を考えない。人を裏切ったり、寝返るのはこういう人種である。
ずいぶん昔に電車内で遭遇したインド人の母子を思い出す。日本での話である。民族衣装のサリーを巻いた上品そうな女性とその小さな息子がつり革につかまっていた。前の席が空いて、子供は喜々としてそこに座ろうとした。
ところが母親はそれを引き止め、英語で「ノー!」と強い調子で言った。
子供は「どうして? どうして? ぼく座りたいよ」と反抗する。そこで母親の言った言葉が素晴らしかった。
「あなたは子供なんだから、座る権利はない。
あなたは料金も払っていないでしょ」
英語だったので、私の聞き取りは正確ではないかもしれないが、概ねそんな理屈だった。
そして母親自身もその席に座ろうとしなかった。子供は不満そうだったが、我慢して立ち続けていた。
こういうのが教育なのだと思う。躾なのだと思う。
私はといえば、空いていれば積極的に優先席に座ることにしている。図々しい若者に占拠される前に。
つまり、妊婦や怪我人、具合の悪そうな人に席を譲るためである。
ところが年寄りに席を譲ろうとするとちょっとやっかいだ。前述のような「いや私は結構です」と断る老人が半数はいるからだ。自分では若いつもりらしい。あるいは譲られて座り続けるのが嫌なのだろう。そういうときは「ああ、そうですか」と譲るのをやめるか、その人の様子を見て疲れているようならやはり強引に座らせることにしている。
譲った後は、その人の前から遠く離れて立つ。目の前に立っていると、譲られた人が気まずいと思うから。
「田舎者」
という言葉がある。差別用語だという人もいる。それは間違っている。これは地方出身者のことを指す言葉ではないのだ。
人がひしめきあっている都会に暮らすなら、それなりに人に迷惑をかけない気遣いが必要になる。
切符を買うときは、横入りしないでちゃんと並びなさい。
ぼーっと並んでいないで、自分の番が来る前に財布から小銭を出しておきなさい。
エスカレーターや歩道では急ぐ人に道を空けておきなさい。
酒場に団体で来て大きな声で騒ぐのはやめなさい。あなたたちだけの店ではないのです。
車を運転するときは道を譲り合いなさい。そのほうが渋滞しないで早く行けます。
「ここは田舎とは違うのだよ」、「都会のマナーができていないね」という意味で「田舎者」と呼ぶのである。だから、都会生まれだからといって、田舎者ではないということにはならないのである。
例えばニューヨークでは、「エクスキューズ・ミー」(日本語でいえば「失礼します」)が飛び交っている。道ですれ違うとき、エレベーターを降りるときなど、いつもこの言葉が聞こえてくる。
駅の構内で、押した、押された、ぶつかったなどの理由で喧嘩しているような人種は、ことごとく自分のことしか考えていない田舎者なのである。
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