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カテゴリ:政治
田母神航空幕僚長が更迭されましたが、国会では自説を撤回しませんでした。軍人らしい律儀さを感じましたが、正しい議論かも知れませんが、賢い議論ではなかったと思います。空幕長を定年退職をしてから堂々と主張すべきでした。
団塊の世代から上の世代は自虐史観に縛られていますから、田母神氏の主張には傾聴すべき点が多々ありましたが、公的な立場を弁えられなければ単なる暴論に過ぎません。軍人は寡黙であり、職務に忠実であるべきだからです。 日本人には核の議論もしてはいけないというような律儀な性癖がありますから、田母神氏の言論の自由を認められないのならば北朝鮮並みだという反論には一理がありますが、空軍のトップですから自ずから制約される面もあります。 中山文部科学相の日教組批判も支持する人は少なくありませんが、発言した場が問題でした。中山、田母神両氏ともKY、空気の読めない人だと思われます。政権交代が起きそうな政治情況を読めず、敵に塩を送ったからです。 政権交代が起きれば日教組も自虐史観も公的な地位を占めますから、対抗勢力を勢いづかしただけです。両氏の政治発言が民主党に敵失から得点を重ねさせました。自民党が自らの失策で政権末期の様相を呈してきたのは残念です。 日本人が東京裁判に縛られているのはアメリカの占領政策が成功したからですが、ソ連に占領された満州を思えば甘受すべきでしょう。ソ連は日本兵をシベリアに抑留しましたから、アメリカの統治は平和的、民主的だったからです。 東京裁判はアメリカの合法的な報復、復讐でしたが、日本人が戦後処理をしたよりも民主的であり、犠牲者も少なかったかも知れません。A級戦犯にも反論の機会を与えたからです。日本の2.26事件の対応とは根本的に違うからです。 チャーチル首相はナチスを裁判抜きの即決絞首刑にすべきだと主張していたそうですし、アメリカの世論も同様でした。アメリカが形式的であるにしろ国際法廷で戦犯を裁くように主張し、東京裁判を行わせたのは歴史の進歩です。 侵略戦争であるか、援兵要請に応えただけかは当該国の国民が判断すべきであり、当事者である日本が判断すべきことではありません。田母神幕僚長の大東亜戦争は自衛戦争であるという歴史観は公的な立場では許されないものです。 田母神氏は国会で憲法を改正すべきだという自説を開陳しましたが、定年退職をしましたから何を言っても自由です。国会で心にもない謝罪をしたり、白を切ったりする官僚よりも、軍人らしい武士道精神、誠実さが感じられました。 第二次世界大戦の歴史的な評価が定まるまでにはまだ時間が必要です。日本では感情論が先行し、冷静な議論ができないからですが、田母神氏に同調し、懸賞論文に応じた航空自衛隊の幹部が50名を超したのには問題を感じます。 田母神氏に同調する航空自衛隊の幹部から戦前の皇道派、統制派のようなセクト主義が感じられます。公と私を理解出来ない自衛官にはシビリアンコントロールが期待出来ませんから、自衛官にも市民としての常識が求められます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/11/12 08:17:54 PM
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