そういえば、ある秋の頃、暑い国から帰ってきたとき成田からの京成線に乗りすがら、私は叫んだ。
「何時の間にか日本中冷房かかっとるやんけ」
「冷房代かかってしゃあない」
上野駅に着く頃に秋と気がついた。簡単にいえば阿呆になってた。
暑い国に行くのに、日本が冬だった場合、空港までとても寒い格好をしていく。上野駅で早朝ぶらぶらして震えていたら
手配師のおじさんが寄って来た。
「仕事あるよ」
「いや、今からインドに行くんで」
「ん?そうか。よく分からんけど仕事あるで」
「いや、暑い国に今から長く行くから今は寒い格好してるの」
「ん?そうか」
といいおじさんは何処かに消えたが、三十分程して戻って
きてこういった。
「いい仕事あるよ」
社会的距離
有名なことですが、対人距離というのがありますね。
50センチ内外の密接な距離なら恋人や家族、
1メートル内外なら親しい友人、2mなら仕事の同僚や
近所の人、それ以上なら赤の他人。それ以内に入って
来られると不快感を覚えるというもの。満員電車は
多分他人を人格あるものと認めていないのである。
外国ではもっと間隔の感覚が違うのであろう。
昔、女性の友達どうしが普通に話しているのを見た。
30センチくらいの距離で話しているのだ。レズビアン
ではない。私は思わず、声をかけてしまった。
「西洋人みたいですなー」と。
満員電車で友達と一緒になった時は話するのが
恥かしい。急に回りの人が人格を持った人間に
なり聞いているのではと思うからなのかな。
昔一度、よく知らないくせに、「老子がなあ・・・」
という議論を酔っ払い同士満員電車で話してて、
帰ってからえらく恥かしかったのを覚えている。
満員電車でも本を読むのだが、何を読んでいるの
か見られるのは恥ずかしい。でもカバーするのが
何か紙がもったいなくて嫌で、角度を決めて
読んでいる。「おい、何読んでるか見るなよ」と
私は多分心の中で主張しているのである。
きっと誰も気にしてない筈なのにね。
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最終更新日
2022.11.01 21:39:09
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