大きなことはいえないが、学生時代から腕時計をしていない。いや、そんなことはない、今思い出したが、前妻の親から高そうな時計を頂いて使っていたことがある。残念ながら電池が切れて、そのまま使わなくなってしまった。ちょうどその頃には携帯電話も普及してきて、それで時刻を確認するようになったからだ。
しかし、海外旅行ではそうではない、部屋に時計がないこともあったりして、腕時計型サイズの懐中時計を1,000円で買い使っているが、その前は、1,000円の使い捨て腕時計を空港で買ったようだ。
証拠写真
初めて腕時計を買ったのが、中学校の時で、当時はデジタル時計がメジャーになるはじめる少し前で、ストップウオッチ付きのデジタル時計で安いものでも、2,3万という驚愕の価格であったが(=お年玉のほぼ全額)、姫路市は奥野時計店で購入したのであった。それから2,3年もすると、プラッチックで出来た1000円もしないデジタル時計が出回り始めたのであるが、何せ、ストップウオッチ早押し一人競争の日々が始まったのである。何せ、腕時計の厚さが極みであった。美しい。時計の四側面についたボタンのストップウオッチ機能のボタンだけが、徐々に陥没していく日々、やっぱり私は中学校一年生だった。奥野時計店からは、その後10年に渡り、案内が自宅に届き、毎年年賀状が届くという超優良店だったのであった。頑張れ、奥野。しかしホームページ検索したけど、ないぞ!燃え尽きたか、奥野!いや、違う!
奥野はオクノになり、宝石を追加してゴージャスになっていた。応援するぞ!陰から。
しかし、働いてから1度つけていた時計は秒針はなかったけど、誰がせわしい秒針とっつけたんだろうねえ。江戸時代までは、何だか未開文化でもないのに、時計がないというか、日の出日の入り主義の、それぞれを6等分に分ける(丑三つ時とか)の世界だったので、春夏秋冬時間の流れが違った風流な世界だったんだねえ。まあ鎖国してから出来たってことだよねえ。まあ、西洋式時計を広めようとしたのが、またまたのフランシスコザビエルって訳で、でもそんな単純な時計には和時計職人がゆるさねえ!改造しまくってマニアックなもんを作り出したわけで、明治になって今後は西洋式でイクゾーって政府が声掛けたら、なんじゃいこんな単純なもの!とあっという間に追いつき追い越す。ちなみに、時計マニアック発祥のひとつが、東京芝浦工業になったって分けね、東芝。まあ、時計って言えば、スイスジャン、ずっとスイスの天文台が時計の精度大会なんかを、自分らの威厳を保つために精密さナンバーワンワールドコンテストやってたけど、セイコーが1960年代終わりにクォーツ出したら、もう正確さでは叶わないわい、とコンテストやめちまった、やめちまってもスイスの時計はすごいよ、デジャインとか、ブランド力で勝負するようになったからね、え、精密度?正確さ?まあ、誰が100年に1秒狂うみたいな時計求めてんだい、バロー、見た目と見栄でしょ!と言い出したのである。いや言ってないか、そういう方向にもっていっているだけか。
何せ、私は、
あのエジプト以来30分前のパラレルワールドに住んでいる住民だ。30分前の私は、多分30分後の私と入れ替わったのだろう。
まあ、そうとして、むむ、偶然の心霊写真みたいになっとる。ビール瓶に女性が・・・。今、家では、そこからか秋の虫が入り込み、鳴いている・・・。
![ゴ](https://plaza.jp.rakuten-static.com/api/Proxy.php?a=http%3A%2F%2Foutdoor.geocities.jp%2Fharujitatujin10%2F039864a6.jpg&b=843dc3c3f1e554f924a607b0271840b6)