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カテゴリ:原子力発電
Facebookに書いたのだが、長すぎて自分で読むのも一苦労という状態になったし、付け加えたいところもあるので、ブログに書く。
今日(もうすでに昨日になっている)2月28日は、Facebookの友達であるプルト君の72歳の誕生日ということになってます。つまり1941年2月28日生まれだということ。プルトニウムは天然にはほとんど存在せず(ウラン238に中性子があたると、まずウラン239となり、これがβ崩壊 、ネプツニウム239 にかわる。そしてこれがさらにβ崩壊、プルトニウム239が生成される。このためプルトニウム239も自然界にごく僅かに存在する)、実際には人工的につくられるが、はじめて作られ、発見されたのがこの日ということらしい。 Wikipediaには、プルトニウムが「最初に合成・分離したのは1941年2月23日、アメリカの化学者グレン・T・シーボーグ博士、エドウィン・M・マクミラン、J・W・ケネディー、およびA・C・ワールで、バークレーの60インチサイクロトロンを使ってウランに重水素を衝突させる方法による。」と書かれてるけど、1941年2月23日と2月28日、どっちが正しいのだろう。 歴史的には、このあと1942年にマンハッタン計画がスタート、広島に落とされる原子爆弾リトルボーイにつながるウラン型とともに、プルトニウム型の原爆開発も進む。シカゴ大学のフットボール場の観客席の下に設計された原子炉シカゴ・パイル1号で、プルトニウムは最初の臨界を迎える。さらに、プルトニウム生産炉がまずオークリッジに建設され、後にプルトニウム生産のための大型炉がワシントン州ハンフォードに建造されたが、このプルトニウムは最初の原子爆弾に使用され、ニューメキシコ州ホワイトサンドのトリニティー実験場で核実験に使われた。そして、第二次世界大戦末の1945年8月9日、原子爆弾ファットマンとして長崎市に投下された。 核情報というサイトの「世界の核分裂性物質の量と民生用再処理」というページに掲載されているように、現在、世界には、核兵器プルトニウム約241トン、原子炉級プルトニウム約256トン(このうち日本の保有量約45トン)、計約500トンものプルトニウムが存在しているのです。 そして上記「核情報」のサイトの「日本のプルトニウム保有量」というページには、「原子力委員会は、1991年原子力委員会核燃料専門部会報告書「我が国における核燃料リサイクルについて」において「必要な量以上のプルトニウムを持たないようにすることを原則とする」と発表し、1997年には、「余剰プルトニウムを持たないとの原則を堅持している」ことをIAEAに通知する形で国際的に宣言しているが、余剰プルトニウムは増え続けている。」として、日本における必要以上のプルトニウム保有が国際的に問題視されていることが述べられています。 また、日本のプルトニウム保有量は、世界の原子炉級プルトニウムの約5分の1の45トンですが、このうち国内で保管されているのは10トンだけで、35トンは海外に保管されているのです。これは、青森県六ケ所村に作られた使用済み核燃料再処理工場が稼働せず、結局すべて英仏に運んで処理されているためです。 資源エネルギー庁などは、原子力はウランを一度運んできたら、あとは発電をしたあとの使用済み核燃料を再処理してリサイクルし、そこでできたウランとプルトニウムを再び発電に利用するという形で、半永久的に利用していくのだから、準国産エネルギーといってもいい、とか述べてきたのですが、むしろ、ウラン調達の全量を輸入に頼っているだけでなく、ウランの製錬工場は鉱山に併設されている場合が多く、国内に製錬工場はなく、さらにウラン濃縮も六ケ所村などでわずかに行われているだけで、原子力発電所で使うための濃縮ウランの大部分もまた、海外から調達されています。また、転換についてもすべて海外に依存しており、そして使用済み核燃料の再処理も英仏に頼りっきりで多くのウランとプルトニウムの処理と保管も多くは海外ということで、核燃料サイクルの多くの工程で海外に依存している現状で、推進側の宣伝文句と違って、準国産どころか、何度も海外に運んで処理する何重もの、だいたい五重から六重の輸入エネルギーなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.01 07:28:46
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