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カテゴリ:ディベート
(続き)たとえば、「議論のルールブック」の一節、「冷笑主義者にご用心という章をよみながら、カマキリのような私の触覚がビビビと動いた。
やっぱり、ネクラ人間はcynicsでいいのだ。 岩田氏は述べる。 冷笑主義とは、真実や意味を追い求めるのは無駄だという態度です。 冷笑主義者にとりつかれてしまうと、すべての議論や探求、はては人間の行動すべてが無駄なことになってしまいます。 これは無気力、無関心に陥る恐ろしい病です。(P48) おもしろい。まさに、ネクラが病に結びつくというあたりに説得力がある。企業の人事担当者はこぞって「わが社にいらないのはネクラ社員」と断言する理由がよーく判る。 ネクラ人間はcynicsと述べた。 コビルド辞典でシニックを見る。A cynic is someone who believes that people always act selfishly. そう冷笑主義(cynicism)に捕らわれたネクラ理想とは、人の善意など信じない。 すべての人はいつも自分のために働く、したがって会社などは従業員を搾取するためにある、と考える。 国立大学の経済学の教授に多いようだ。 ゼミの学生が「先生、おかげで三菱商事に入りました。喜んでください」といえば、その教授がいう。 「身潰し祥事?やっと君も、企業奴隷となったか、気の毒に。今夜、牛丼で乾杯するか」 ――行きたくねえ。 そういえばカール・マルクスはネクラだった。 環境がそうさせた。 共産主義もネクラ・ロジックから始まった。 人は搾取する人と、される人に分れる。 これがネクラの発想の原点。 この大前提の次に来るのが、おれもお前も搾取されている奴隷という小前提。 そして議論は、主人である経営者こそ打倒すべき敵なんだ――そうだ組合だ。(続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月10日 05時54分17秒
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