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終生飼育という言葉を この国のうちの何割の人が知っているのかわからないけれど
途中で飼育放棄する人間の多さに本当に驚く 、一応先進国、ニッポン。
犬やネコを捨てるのは立派な犯罪で、懲役一年以内または罰金100万円の刑が課せられる、と法律では定められている。 殺傷や虐待は懲役二年以内、または罰金200万円の刑だ。
でもあとを絶たないそれらの犯罪。 バレなきゃいい、的な大人がたくさん。
そういう大人に育てられた子供も同じような人間になるだろう。
保健所への持ち込みも同じ、理由にならない理由で飼育放棄する大人たち。 自分が放棄したら殺されるのわかっていて簡単に手放す。
なんだろねこれは。
これから益々増えるであろう理由に、飼い主死亡があると思う。 飼っていたおじいさんだかおばあさんだかが亡くなって、親族が持ち込むケース、これから間違いなく増えるよね。
その残された小さな命が、親の形見だと思って大切に飼育するなんて子供や親族はあまりいないのだろう。
今、保健所と呼ばれるセンターでは、飼い主の身勝手な理由による殺処分依頼は断ることができるのだけど、 実際真剣に話し合い断っているセンターがどれだけあるのかはわからない。
飼育放棄、ましてや殺してくれと頼みに来た人に返したところで、その犬やネコの行く末が心配でもある。
飼育放棄する人は、絶対に最初から飼ってはいけない。 責任がもてないのなら、命に手を出してはいけない。
安易な気持ちで衝動的に ペットショップでつい買ってしまったなんて人は救いがたい。
命に責任をもたなくてはならないのだから、 子供がひとり増えるくらいの気持ちで迎えないと難しい。
思うようにはならないし、お金もかかるし世話もやける、病気にでもなればそれこそ莫大なお金がかかる。 そして動物愛護法では、本来、飼育するにあたり細かな決まりごとがある。
不妊手術をすることや、適切な食事や適切な飼育方法など、飼い主のモラルが問われる様々なルール。
これらが守られていない場合、ひとえに 愛情不足、またはペットショップで購入する際の説明不足が多いと思う。
愛情不足はもうね、人としての問題だよね、 知識やモラル以前に 人としてどうなのか、ってところ。想像力の欠如。 犬やネコだって生きている。お腹もすくし感情もある。 暑かったり寒かったりストレスがたまったりもする。 ただ人と違うのは、言葉にしないことだけだ。 それをいかに汲み取れるか、愛情をかけられるか、 それさえあれば、裕福なおうちの子になろうが貧しいおうちの子になろうが、彼らにはなんの関係もない。ただただ愛情さえあれば。とてもシンプルな要求だけど、それさえ言葉にしないで飼い主を信じている。
何年か一緒に暮らして、途中で身勝手な理由で飼育放棄するなんて、普通はちょっと考えられないと思うのだけど
そういうことが日常的に起きている、それが事実。
自分に置き換えて考えてみればわかること。 完全に生まれてからずっと信じていた家族に、ある日突然 裏切られて捨てられる。死刑宣告を受ける。
それでも彼らは信じて、信じながら殺されていく。
そんな現実が毎日起こっている。
悲しすぎる。 放棄した人間は、私なんか厳罰に処してほしいと思っちゃうけれど
生き物と暮らしたら、死ぬまでずっと一緒に暮らしなさいよ、というのが終生飼育。 つまり最後まで看とりなさいよ、という。
当たり前だと思う。 その責任をもって、その暮らしを始めるのだから。
私が今いちばん怖いのは うちの子たちより先に私が死ぬことだ。
人間なら、どんな人間であろうと 親や親権者が死んだからといって、その子供が殺されることはない。 でも彼らは 親権者である飼い主が死んだとたん、殺される可能性が大いにある。
理不尽な世の中だ。 人間なら、親に捨てられようが殺されることはないのにね。
人間だけが人権なんていうものに守られて
動物には自らの意志で生きる権利さえ認められていない国 ニッポン。
私は絶対にうちの子たちより先に死ぬわけには行かない。
もちろん未来はわからないけれど、 死ぬわけにはいかないということだけはわかっている。
全部看とるのだ、全部、一日でも私が長生きをして。
もしも私が余命宣告されたら、残された時間は全部この子たちの生き残る方法を探すために使うのだ 、 それだけは覚悟している。
終生飼育。 それが当たり前の世の中に。 それができない人は 絶対に最初から飼ってはいけないと思うよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.05 01:21:17
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