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今年50歳になった実子ブルックが2年生の頃だから、もう何年前になるだろうか。学校のサマーキャンプで、一週間ばかり親元から離れるプログラムがあった。たしか、科学の先生が計画したもので希望者だけだったが、ほぼクラスの全員が参加したように覚えてる。 植物探検(食べられるもの、毒物のみわけかた)、石ころの勉強、星座の勉強、方角の勉強、昆虫、爬虫類の見分け方みたいな事が含まれていたと思うが、その中には「家族にハガキを送ろう」という時間があったので、家族も楽しみに待っていた。他の父兄達は、「早く家にかえりたい」「つまんない」「・・・をたべたいけど、がまんしてる」みたいな文句を数行しか書いてこなかった、と笑っていたが、驚いた事に、ブルックのは小さい字で、ぎっしり書いてあって、書ききれない部分は宛て名を書く側にも延長していた。 『毎日興味あることをしてる。乗馬したり、キャンプファイヤーで歌ったり、踊ったり、川で泳いだり、暗くなると肝試しもあって、僕はそれが一番好きだ』と始まって、どんなものを食べてるとか、ポイズンアイビー(ツタウルシ)の見分け方もならったよとか、人工呼吸のやり方も覚えたから家族をたすけられる、とか細かく書いてあったので、大体なにが起こっているかわかった。その中に一つだけ「マミーマミー」と毎晩泣いてばかりいてうるさいやつが、一緒のキャビンにいるのが、玉にきず。みたいなことも書いてあった。まさか、その子デレックが私の第二の息子になるとは想像だにしなかった。 デレックは、両親がドイツから移民してきたので、家ではドイツ語も話していたようだ。金髪のオカッパで、図体は大きかったのに弱虫で皆からいじめられていたらしい。らしい、というのは同学年でも同級生ではなかったからだ。その内に、カブスカウトで一緒になったが、いつの間にかやめてしまったし、友達もあまりいなかった。 それから中学になるまで、たまに顔を合わせた程度で、両親の名前もしらなかったが、中学PTAの会長になった事で、人々が色々な問題を私に相談するようになった。その一つが、『イジメ』であった。 他の生徒のお弁当は取り上げる、給食用の金をまきあげる、野球帽をとりあげて崖の下になげてしまう、いいつけるとひどい目にあわせるぞ、という生徒が今、学校中で問題になってるのだというのだ。それが、よりによって、あの弱虫デレックであった。 息子に聞いたら、「僕にはちかよらないから、よく知らない」といったが、その悪名高きデレックが、ある日我が家の玄関をノックした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.30 08:48:00
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