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所属事務所のワタナベエンターテイメントはダイバーシティについて配慮を欠く発言を行ったとし謝罪。なお、声明文では相手の名前は伏せられている。
この例に限らずですが、お笑いの世界では相手の身体的特徴を笑うという芸が「鉄板として」存在する。わかりやすいところだとハゲ、とかデブとか不細工とか・・・ で、これを「芸人相手にしている台本ありのコントなら問題ない」のですが、一般人へのいじり芸であったり、テレビやイベントでの不特定多数へのコメント芸であると話は変わってくる。明確な身体差別だ。 怖いのはお笑いというのが「笑えるんだからいいでしょ?」と差別を見逃してしまいがち。でも、たとえば学校でいじめられっ子がいじめる側に服を脱がされて全裸にされたことをクラスのみんなが笑っていたんだからいいだろ?に置き換えたらどうだろうか?笑いを仕掛けた側は傷つかず、仕掛けられた側は恥辱で笑えるだろうか? このBlogでも何度も書くが、以前、ダウンタウンの松本人志のラジオ番組内で、本人は高校時代、客観的に聞いて明らかにいじめである行為を面白い事であるかのように語っていた。で、別の番組ではいじめについて「こんなことしたらいかん」と・・・ 「笑わせる行為」と「笑われる行為」は違う。前者は誇っていい芸だが、後者は馬鹿にされている行為で。何より、笑われる対象は恥辱でしかなく。 黒人差別問題についてはつい昨年もダウンタウンの番組で炎上したことからもわかる通り、「お笑いだから許される」なんてのはとうの昔に終わっている。単に肌の色が黒い、というだけの理由で「笑われる」対象になった時代がある。いや、今も続いている。 そこには過去の差別に対する深い悲しみと、歴史があるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.09.25 12:26:11
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