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2015年07月15日
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詩人コクトー(1889‐1963)の手にかかると、子供の世界も、ギリシア悲劇を思わせる格調の高さをもって、妖しく輝きだす。白い雪の玉で傷ついた少年ポールが、黒い丸薬で自殺するという幻想的な雰囲気のなかに登場する少年少女は、愛し、憎み、夢のように美しく、しかも悲痛な宿命をになって死んでゆく。(「BOOK」データベースより)

コクトー『恐るべき子供たち』(岩波文庫、鈴木力衛訳)
コクトー・恐るべき子供たち.jpg

◎三島由紀夫が敬愛するラディゲとコクトー

三島由紀夫に、『ラディゲの死』(新潮文庫)という著作があります。20歳の若さで亡くなったレイモン・ラディゲは、ジャン・コクトーにあこがれていました。『ラディゲの死』には、ラディゲがコクトーと出会い、彼に見守られながら息を引きとった様子が書かれています。ラディゲは、三島由紀夫が敬愛する作家のひとりでした。三島由紀夫は亡くなる3年前にラディゲと会っています。その体験については、「ドルヂェル伯の舞踏会」(新潮文庫『裸体と衣装』所収)に詳しく書かれています。

コクトーはよく変人呼ばわりされていますが、情の深い人だったと思います。コクトーは早熟で、はちゃめちゃな人でした。前衛芸術家とだけ書かれているプロフィールもありますが、活動の範囲は詩人、小説家、劇作家、画家、脚本家、映画監督など幅広いものです。そして彼は、あらゆる領域で天才的な力量を発揮しています。もうひとつ忘れてはならない才能がありました。人を育てる力です。

コクトーは14歳下のラディゲの才能を見抜き、その死まで看取りました。彼は友人と触発し合ながら、仕事をするのを好みました。

ピカソ、サティ、シャネルは、コクトーによって表舞台に引っぱりだされています。さらに写真家として有名になったマン・レイや、画家のハンス・ベルメールなどの作品を、自らの著作に用いています。

愛人関係にあった俳優のジャン・マレーのためには、戯曲を書き映画も作りました。またジュネの『ブレストの乱暴者』(河出文庫、絵は掲載されていません)に水平の絵を描き、サルトルの『汚れた手』(『サルトル全集・第7巻』人文書院所収)の演出にも力を貸しました。(この段落の文章は、『解体全書2』リクルートを参考にまとめています)

さらにコクトーは、『源氏物語』まで知っている稀有な読書家でもありました。彼が俳優で愛人のマレーのために「これは読んでおくべき本のリスト」を提供しています。世界の名作がならんでいます。『源氏物語』はそのなかの1冊です。

コクトーは35歳のとき、アヘン中毒の治療を受けています。そのときに書いたのが、『恐るべき子供たち』なのです。三島由紀夫は著書のなかで、コクトーについてつぎのように書いています。

――コクトーが日本でもてはやされるのは、フランスのものが何でも日本人に受けるというのとは少し違うと思う。一例がコクトーの散文の文体は、これ以上痩せようがないほど簡潔な文体であるが、それはスタンダアルのような論理的な文体ではなく、むしろわが西鶴に似た、イメージのいっぱい詰まった砂金の袋を目にもとまらね早さで打ちつづけるボクサーのような運動と、それによってあたりへ撒き散らされる砂金とから成る文体だ。(三島由紀夫『三島由紀夫文学論集3』講談社文芸文庫より)

◎『恐るべき子供たち』は大人社会の縮小版

『恐るべき子供たち』(岩波文庫、鈴木力衛訳)は、子供たちの雪合戦の場面からはじまります。ガキ大将のダルジュロスの投げた雪球が、病弱で華奢なポールに直撃します。ポールは胸を打って昏倒します。ポールは自動車でアパルトマンに運ばれます。そこには母親の看病で疲れた姉・エリザベートがいました。やがて母親は死に、アパルトマンには2人の姉弟がとり残されます。

姉のエリザベートは16歳、弟のポールは14歳。金持ちの叔父に生活の面倒をみてもらっています。2人はモンマルトルのアパルトマンを拠点として、勝手気ままな生活をしています。2人はいがみあいつつも離れず、まるで一心同体であるかのように暮らします。2人ついては、わかりやすい解説があります。引用させていただきます。
 
――二人は「幼い時代を生きるために生まれてきて、つながった揺籠(ゆりかご)に並んでいるかのようにいきつづけ」、しかも生きることを芝居のように演技して、お伽噺の世界に逃避し、閉じこもり、その硬質な美しさで人を打つが、結局はもろいガラス細工のように、自分自身を傷つけ、こわれてしまうのである。(加藤民男編『フランス文学・名作と主人公』自由国民社より)
 
友人であるジェラールと、孤児のアガートが同居するようになります。姉弟の間に、愛憎のもつれがおきはじめます。ジェラールは当初、同性であるポーに密かな愛情を抱いていました。同居するようになってから、姉のエリザベートを恋しく思うようになります。アガートは洋品店の店員で孤児ですが、ポーが密かに恋心をもちはじめます。ひとつの屋根の下で、子供たちの葛藤劇がくりひろげられます。
 
外部の侵入を許さぬアパルトマンでのてんまつは、とんでもない結果を迎えます。ギリシア悲劇を模した展開に、読者は打ちのめされるでしょう。愛憎、同性愛、窃盗、偽善、虚偽、毒薬、巨万の富……。この作品は、大人社会の縮小版でもあります。

『恐るべき子供たち』は、ストーリー性のない難解な文章です。最初は角川文庫(東郷青児訳)で読みました。ちょっと難しかったので、岩波文庫を購入して読み直してみました。印象に変化はありませんでした。

角川文庫の訳者は、有名な画家の東郷青児です。彼は「あとがき」で、白と灰色と黒だけの世界とこの作品を称しています。冒頭部分に登場する鮮血が、悲劇への警鐘だったのかもしれません。

倉橋由美子は『恐るべき子供たち』について、つぎのように書いています。
――ここに描かれている少年少女の行動には、一九二〇年代という第一次大戦の「戦後の時代」(アプレ・ゲール)の、一切のタガが外れたような時代の風俗や若者の犯行が反映しているのかもしれません。それも、神とか、道徳観念とか、制度とか、外から人間を制約するものがあらかたなくなった時、人間は何をするのも自由であるかわりに、何をしていいかわからず、何をしても手応えを感じないという状態に陥ります。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫より)

こうして物語は終局へと向かいます。あえてストーリーにはふれませんが、津島佑子の文章によって結びとさせていただきます。

――「子どもたち」の純粋培養された王国は、三年も続いた。そうして、その王国を危ういものにしようとするひとつの邪魔ものが現れる。つまり、成長である。特にエリザベートにとって、弟の成長が不安に感じられる。いくらおとなっぽくなっても、弟は自分にとって無力な存在のままでいてくれなくては困る。弟にこの姉を乗り越えさせてはいけないのだ。今まで保ち続けてきた子どもの王国を守るために。(津島佑子『本のなかの少女たち』中公文庫より)

『恐るべき子供たち』は、中条省平訳(光文社古典新訳文庫)でも読むことができます。また青空文庫でも、岸田国士訳で読むことが可能です。まだ2人の訳本は読んでいませんが、研ぎ澄まされたコクトーの文章をどう翻訳しているのか、楽しみでもあります。
(山本藤光:2009.11.01初稿、2015.07.14改稿)





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最終更新日  2017年10月16日 09時06分39秒
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