平成中村座「仮名手本忠臣蔵」(3)
歌舞伎というのは、「型」の連続でできている。バレエなど、舞踊の世界でよく言われることだが「いつ写真を撮っても絵になる」の極致。どの仕草にも意味があり、いかなる動線にもムダがない。座るときに、ヒザ裏をポンとたたいて袴を折る。勘太郎演じる勘平が、立ち回りのために、勘三郎扮する塩冶判官が、切腹のために、上身だけを脱いだその着物がだらしなく崩れないよう帯のあたりで折りあげて押し込む、その一連の流れによどみがない。「動きやすい」は「美しい」に通じているのだ。あるいは土の上に座していたために汚れた袴。立ちしなに左のひざのあたりについた土をさっさっと掃い、ややあって、おや、右も、と気づいてちょいとたたく。その仕草だけで息をのむようなドラマとなる。観客のすべての視線が、花道を行きかけた中腰の由良之助(仁左衛門)の、想像上にしかない「土ぼこり」の落ちていくところを「目撃」するのだ。Aプロの大きな見どころは、四段目、塩冶判官切腹の場。普通の劇場とちがって「飲食しながら観劇OK」、幕が上がってからの出入りについてもけっこう規則がゆるい平成中村座でも、三幕始めのこの場面だけは、観客の出入りが一切認められない中で行われる。歌舞伎ということもあってご年配の方も多いし、芝居の進行中も、せきとかくしゃみとか、いろいろな音が聞こえていたのだが、この場面はなんと、水を打ったように静かであった。中村勘三郎、渾身の演技に、人々は吸い込まれていった。白装束の判官(勘三郎)が、抜き身で左腹を突き、そのままゆっくり右へ一文字。歯をくいしばりながら上へぐぐっとカギ状に引き上げる。セオリー通りだ。そこへ、花道を息せき切って由良之助が馳せ参上!自分の思いを由良之助以外には漏らすまいと、他の家来との対面すべてを退けていた判官は、至福のきわみで由良之助と相まみえる。「委細は聞いたか」で始まるまるで恋人同士のように濃密な今生の別れのシーンは、ばったりとうつ伏せにこときれた判官の遺骸の裾や裃の乱れをゆっくり丁寧に直す由良之助の仕草へと続く。最後に形見につかわす、と言われた腹切刀をもらい受けようと握った手から引き取ろうとするのだが、あまりに強く握ったまま果てたため、手から抜けない。その握力の強さに主人の無念を改めて感じた由良之助の、それからの行動が秀逸!刀を握りしめた右手の甲をやさしくなでまわし、いとおしむように1本、また1本、と指を開いていくのである。現在公開中の映画「おくりびと」の1シーンを思い出す。山崎努が演じる納棺師が、亡くなった人の硬直した両手を握り、しっとりとゆるゆるまわしながら、胸の上に組んで置いていく過程。あれに似ていた。歌舞伎は「型」が大事、けれど、「型よりも心が大事」、そうはいっても、「型」が美しくて初めて心栄えが映えるしくみ。それが、歌舞伎の魅力だと思い至る。それにしても。判官は、きっと顔世御前より由良之助の方と心が通じていたんじゃないかしら。一心同体で仕事する人を「女房役」というけど、判官にとっての「女房」は、きっと由良之助だろう。顔世さんは、「奥方」ではあっても、「女房」じゃなかった感じがする。判官が、いまわのきわに会いたかったのは、由良之助。自分の心をわかってくれる、ただ1人の人だったのだろう。そして、由良之助にとっても。以降、由良之助は、自分の人生を全て捨て、ただ主人の無念をはらすためだけに生きる。あの切腹の瞬間に、おそらく由良之助の人生も終わった。そう考えると、何百年経ってもなお語り継がれるほどの大事件へと発展した「忠臣蔵」は、武士の体面とか、主従の忠孝とか、そんなものではなく、ただ「愛する人のために」起こした情念の発露であったと納得する。これで、四段目終了。「忠臣蔵」のクライマックスである討入りから引き揚げまではなんと十一段目。序盤だけでもこれだけ濃い話とわかると、ますます最後まで見届けたくなる。また、Aプロ、仁左衛門の由良之助もよかったが、Dプロで見せる橋之助の由良之助も、見てみたい。「仮名手本忠臣蔵」は、東京・浅草の浅草寺裏手に平成中村座という小屋を掛けて、10月26日まで。うーん、12月14日が来る前に、とびきり忠臣蔵フリークになりそう。