たたみ
5月13日 13日の午前一時過ぎ、姪のMamiから電話。「今度はほんまにあかんみたい」母は、うちのクルマはいつも運転手が待機していると思っている。私のクルマは、sioがいなければ動かない。大阪へ入ったのは午前2時40分だった。さすがに道は空いている。病院の非常口の前の駐車場に、Mamiの赤いバンが駐めてあった。 部屋へ行くと、スペアの椅子を並べてMamiが寝ていた。母は、ベッドの端に額を押し付けて眠っている。祈っているのかも知れない。義父の容態は、それほど差し迫っているようでもない。心電図はアヤシイ線を描いているが、看護婦さんもいない。「まだみたいやね」と、目を開いたMamiにささやき声で言った。意識がないといっても、本人に聞こえたら気にする。「まだみたい」「あんた、帰ってもええよ。朝、みんなにご飯したらんとあかんねんやろ?」「うん。お弁当二つ、せんならんしね」 母にも、「まだ大丈夫やから、帰って」と言った。「明日、畳屋さんに来て貰うことになってるねん」お葬式のために、畳を新しくしたいのだ。葬儀社の会館にしたらいいと勧めても、なん十年も町会の会館にするのだと思っているから絶対に変更しない。「『どこでお葬式しはったか判れへん』と他人が噂するから」と。sioに、「家まで送ったって」と頼む。「鍵は持った?」 痰がからむ回数が増えた。心電図はひどい山を描いたり、線になったりする。時々呼吸が止まる。のどが水平になるように、首の下に枕をしている。入院5日め頃までは酸素吸入器を自分でのけていたが、もう払わなくなった。心電図の指クリップは、無意識のままにまだ外す。病人がこんなにいやがったりしないものを、どうして医療器具業者は発明できないのだろうか。肩の点滴で足りないのか、看護婦さんは足の甲にも点滴針を刺した。「明日、エコーとります」 なんのために? と思ったが、訊かなかった。患者が死なない限り、病院はなにかしなければならないのだ。入院しなかったら、もうとっくに死んでいただろうか? -----続く-----